第二巻 感応論 鏡心の巻 テツシン貴尊講述 2020.11.30 我、本題に入るにあたりて多方面に渡りたる論説をなせしは何故かと云ふに、是には重要なる意味あるによりてなり。即ち無用の論旨と聞き洩らす莫れ。人の将に死なんとするにあたりて、本然の姿に返る事は汝等も聞き居るならん。即ち死... 続きをみる
2020年11月のブログ記事
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感応論第二巻 鏡心の巻 テツシン貴尊講義 2020.11.30 前巻に述べし「白銀も黄金も玉も生きてこそ、今死ぬる身に何のものかは」に対して、「世の中に宝を残しおかずとも、せめては残せ死する思いを」と云へるあり。人の為世の為、延いては子の為孫のためにと思ふは人の真心なり。己さへよくば他を... 続きをみる
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感応論 第一の巻 最終章 2020.11.29 「白金も黄金も玉もいきてこそ、今死ぬる身に何のものかは」とか云へるあり。此歌の如く考へて練磨すべし。汝等は生きんともがきて苦むなり。即ち猫共の考へ方をなして手柄功名 を焦りて猫の本分を忘れし如く、人間としての本分を忘れて鼠を補るあたはざるなり。... 続きをみる
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感応論 看破測定の法の続き 2020.11.29 例へば未知の人ありて其人の精神を看破測定せんと計る時、もし汝等に於て善心を以てあたらば、其人は善と見え悪心を以て向はば悪人と見ゆれば、真の看破測定を計ることを得ず。故に人に接するには善悪の心をさりて、虚心坦懐以て是に処するを要するなり。是につ... 続きをみる
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感応論 鶴の使者と亀の使者の例話の続き 我、慈音にアキレスと亀について説きたる事あり。後にこの鶴亀の論説によって感応の要点に重大関心を持つに至らん。是を慮ってこの例話をなしおきしなれば、空しく聞きのがすことなきょう注意しおくなり。一本の錐は数多の紙をさし貫く。されど太き鉄棒は是をなすことあたはず... 続きをみる
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2020.11.29 感応論 続き 汝等は云ふべし。我等の親ならんと。然にはあらじ。汝等の親は神の御力にして、汝等を養成する救主にして智慧の権化なり。即ち智慧とは気光素なり。気光素なるが故に善悪を通じて働きをなす。或時は善ともなり、又或時は悪ともなるなり。この智慧の用法に依って極楽も地獄も得らる... 続きをみる
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感応論 看破と測定 続き 或人木登りの名人に極意を聞けば登るよりも下る事を考ふるなりと云ひたりと。汝等此理を悟り得るか。すべて物事は訳もなき所に真理のあるものぞかし。登らんとして唯上る事にのみ心奪はれて却て登るあたはずして顛落す。されば五丈の木に登らんとせば十丈と測定して登らば易々のぼる事を得... 続きをみる
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催眠術と読心術について 先づ一つの考へは汝等の無智無能を現はし、二の質問は迷ひの心を生ず。又三の質問は智慧を喚び起す結果となるなり。故に三を択ばば可なりと答ふるならん。そは何れも名答にはあらざるなり。何となればみな正しき質問にあらずと答ふれば可なり。斯る質問をなす者の智慧は乏しければなり。汝等は... 続きをみる
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2020.11.27 感応論 第一巻 看破と測定 テツシン貴尊口述 水は逆に流るるものにあらず。若し流るるとせば是は流るるにあらずして圧力なるべし。汝等の心にも水の圧力と同様の働かせかたをなしつつあるを以て、無用の心労に終ること多し。水の低きに流るるが如くあらずんばあるべからず。高... 続きをみる
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感応論 2020.11.26 第一の巻 看破と測定 テツシン貴尊講述 平心と鏡心を常に保持することを得ば、感応は全く道となるなり。又其のみならず平心鏡心ならば他と争ふ憂ひなし。のみならず他と融和の交はりをなすに至らば、人間界の幸福これに勝るものあらんや。されば汝等は汝等の心に... 続きをみる
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感応論 第一の巻 テツシン貴尊講義 感応の大要 五手の法について
2020.11.26 感応論 第一の巻 テツシン貴尊講義 感応の大要 五手の法について 円海は籠にて水を汲むを躊躇して、師に鞭打たれしと云ふにあらずや。ここに平心の大切なるあり。何となれば物事を速に行はば心は平となる。後に後にと思ひてなさざれば、なし遂ぐる迄は気にかかりて平心は保ち得るこ... 続きをみる
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感応論 第一の巻 テツシン貴尊講義 感応の大要 五手の法について
2020.11.26 感応論 第一の巻 テツシン貴尊講義 感応の大要 五手の法について 汝等ミキョウより受けたる平心法及び鏡心法に於ける五手の法を修得するあたはずば、此法を用いずとも他に法を求むるも可なり。要は心をおちつけて物に動ぜざる底の法を工夫せば、平心の法は成就せられたるなり。常に... 続きをみる
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2020.11.26 感応論 第一の巻 テツシン貴尊講義 感応の大要 五手の法について ミキョウは是を汝等に教へたり。即ち肉体の刺激によりて心の動揺を感ずるを防がん為に、呼吸と脈を整へてその刺激を防止せんが為の方法を教へたるなり。又合掌低頭するは混濁せる心を沈静する方法にして願ひごとをな... 続きをみる
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2020.11.25 感応論 第一の巻 テツシン貴尊講義 感応の大要 姿を水に映して我と我相対す。汝、彼にあらずして即ち汝なり。汝の声は山にあたりて汝の耳に返る。是又誰の声にあらずして汝の声なり。即ち汝を出で汝に返る。是感応の原理と云ふなり。若し水なくんば汝の姿もなく、山なくんば声も亦無... 続きをみる
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2020.11.25 汝等は自然より生れたれば自然に帰るなり。自然は神なりとすれば神に帰る。即ち神の家に帰るにてはあらざるか。肉体は自然の働きより生じたる機械なり。器具なり。ミキョウが云ひし稲なり。藁なり。穂なり。籾なりと思はばこと足る。是を宇宙と考ふれば、汝等が魂は太陽にして、肉体のすべては... 続きをみる
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光(こう)と気体との関係 其三 固体が光(こう)、気によって成立するは不審にあらざるなり。何となれば固体も柔体もすべては細胞の集合なればなり。例へば水は冷却されて氷となるに等し。又鉄は熱せられて分解して湯となるも此理による。行者が石割の法と云へる手にて石を砕くは此理より編出したるものにして、所謂... 続きをみる
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光(こう)と気体との関係 其二 熱と冷によりて一切は組織せられ、又破壊さるるとならば、肉体の組織破壊の理も亦自ずと知ることを得たるならん。然らば是等すべては自然にあらずして順序なりと云へる事も亦覚るに至りたるならん。汝等はよく自然を克服したりとか、征服したりとかの言を弄すれども、そは順序を知り得... 続きをみる
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光と気体との関係 其一 我、先に行法に於て光体と気体についてわづかばかり語りしが、ここに又無辺無限の標題を掲げたる関係上、光、(こう)気の説の継続とも称すべき理論を掲ぐる止むなきに到りたり。されど行法の理論のみにては唯その概要にすぎずして、更に是が延長となるに依って汝等の利する処は、誠に大ならん... 続きをみる
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2020.11.24 無辺と有辺 例えばここに一本の紐ありて人工を加へざるに、紐と紐とは相互より寄りおひて互に結ばるる事あらば、汝等は是を見て、自然に紐が結ばれたりと云ひて是を自然に帰せしむるならん。然れどももし眼に見えざる人が結びし紐ならば、汝等は是を自然とは言はざるべし。又人に電動力を用いて結... 続きをみる
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2020.11.23 我、斯く説き来らば汝等は科学論にても語るかと思ふならんも然にはあらず。汝等に科学せよと勧むるにもあらず。我の望む処は汝等をして真の人間の有様より、進んでは人界を越えたる次の座に座らしめんと思いてなり。故に先づ自然の道理を明らかならしめて、自然の姿に導き返さざるべからず。 ... 続きをみる
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伊東慈音師肖像 2020.11.22 我、先に行法に於て汝等が為に聊か講話を試みて、修行の一歩を進めしに、又もミキョウの求めに応じて、此講にあたらん事を諾せり。我、念力集に言葉を添えたれども、そは唯一言にすぎざりし。然るに汝等の心に充分に満足を得せしむるには、斯る軽句にては心の修養全か... 続きをみる
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未知日記講演集 こだま会日誌最終講義 第百十八回 円海大師講演 坂本道博筆記
未知日記講話集 こだま会日誌 最終講義 円海大師講義 筆記坂本通博 四月十一日 念力と暗示 言葉なくして喜怒哀楽、好悪等の話をすることが出来る。 之を大きく拡大して深く突込んで考えてみること。 自分がどう言う暗示に左右されるかと言う事が最後の問題。 念力は魂を霊化させる一つの方法... 続きをみる
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未知日記講演集 こだま会日誌 第百十七回 円海大師講演 坂本道博筆記
未知日記講演集 こだま会日誌 第百十七回 円海大師講演 坂本道博筆記 三月二十二日 好むものに心を向け居らば、好むものと同化するもの集り来たりて、 同気相求む。霊気と霊気も然り。 線の結合するは縁の一大事にして新しい道あり。 動物性に落ちるか、霊に同化するか。 我が波長は悪魔にも天使... 続きをみる
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未知日記講演集 こだま会日誌 第百十八回 円海大師講演 坂本道博筆記
未知日記講演集 こだま会日誌 第百十七回 円海大師講演 坂本道博筆記 肉体の姿勢だけでも習慣にして積み重ねて行けば助けになる。 こだま会で厳戒の辞を称うる時の姿勢をいつもとる様にする。 統一された形になり得る、整備された肉体(体力)(伊東慈音先生の如き健全な肉体)。 常に張り切った心... 続きをみる
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未知日記講演集 こだま会日誌 第百十七回 円海大師講演 坂本道博筆記
未知日記講演集 こだま会日誌 第百十七回 円海大師講演 坂本道博筆記 三月二十二日 好むものに心を向け居らば、好むものと同化するもの集り来たりて、 同気相求む。霊気と霊気も然り。 線の結合するは縁の一大事にして新しい道あり。 動物性に落ちるか、霊に同化するか。 我が波長は悪魔にも天使... 続きをみる
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未知日記講演集 こだま会日誌 第百十七回 円海大師講演 坂本道博筆記
未知日記講演集 こだま会日誌 第百十七回 円海大師講演 坂本道博筆記 三月二十二日 好むものに心を向け居らば、好むものと同化するもの集り来たりて、 同気相求む。霊気と霊気も然り。 線の結合するは縁の一大事にして新しい道あり。 動物性に落ちるか、霊に同化するか。 我が波長は悪魔にも天使... 続きをみる
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未知日記講演集 こだま会日誌 第百十六回 円海大師講演 坂本道博筆記
未知日記講話集 こだま会日誌 第百十六回 円海大師講義 坂本通博筆記 三月十四日 己に姿あり、神に姿なければ一体化ならずと考うれば、己を霊気にかへよ。然せば一体化すべし。霊気、気体となりて一体化せよ。 真(信)とは自己に有する霊(たましい)のあらはれ。真(信)不真(不信)の双葉の種は... 続きをみる
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未知日記講演集 こだま会日誌 第百十五回 円海大師講演 坂本道博筆記
未知日記講演集 こだま会日誌 第百十五回 円海大師講演 坂本道博筆記 三月七日 活動霊子 圧力 融和性と分離性となる。之は働かせ次第で反対ともなる。 補助霊子 引力 々 々 々 之が一体化した力にならねばならぬ。 働く力を信仰によって部分的に働くものを一体化す... 続きをみる
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未知日記講演集 こだま会日誌 第百十四回 円海大師講演 坂本道博筆記
未知日記講話集 こだま会日誌 第百十四回 円海大師講義 坂本通博筆記 三月一日 絶対界 心のみに囚はれ居りては動物性に変化す。心のみの気を働かせ居る故、愛の力はうすし。 物を知り度い、割り切り度いと考へるは心のみ。之は魂を育てる事にあらず。心意魂魄一体化した夫婦愛とは異なる。心の働きを... 続きをみる
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未知日記講演集 こだま会日誌 第百十三回 円海大師講演 坂本道博筆記
こだま会日誌 円海大師講義 二月十五日 坂本通博筆記 肉体と心は一所。 たましひの肥料。肉体は中心にあらず。 魂は中心。 不滅母の方向に向かってたましひを磨く。 心身一体の拝みならば偶像を拝するも不可ならず。 いついかなる所にも神と共なるべし。 他方に目を向くる故に過つ。 目、耳、... 続きをみる
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未知日記講演集 こだま会日誌 第百十二回 円海大師講演 坂本道博筆記
十二月十二日 未知日記講話集 こだま会日誌 円海大師講演 坂本通博筆記 其の国の政治が正しくなければ国人が魂をおろそかにして居る。 魂は心に順じ、心は魂を敬って、欲心の置き方を魂に向ける。両者を共にすると魂は向上する。両者を融和させる、之を法と言う。 三対四律の法則(肉体心魂霊)... 続きをみる
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未知日記講演集 こだま会日誌 第百十一回 円海大師講演 坂本道博筆記
日時不明 未知日記 こだま会日誌 円海大師講演 坂本通博筆記 無の音が大事。之を言葉で言うと゛感じ゛という事になる。 有の感じ、無の感じ。之が音楽ではむづかしい。 曲の中に潜在して居る何ものかの感じ。 同じ曲を聞いて、各人感じが違うかもしれぬ。之が大事。 無の表現を(有の表現から... 続きをみる
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未知日記講演集 こだま会日誌 第百十回 円海大師講演 坂本道博筆記
二月十七日 以下年不詳 未知日記 未知日記講演集 こだま会日誌 円海大師講演 坂本道博筆記 人間性をのばして行けば霊を知る様になる。霊は動物性、人間性に拘わらず通じて居るが (霊は全てに通じる) 之をわかるには人間性にならねばならない。 動物性と人間性は混合して居るから、どちらかに... 続きをみる
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未知日記講演集 こだま会日誌 第百九回 円海大師講演 坂本道博筆記
未知日記講演集 第百九回 こだま会日誌 円海大師講義 十二月二十三日 人には心の動き、たましいの動き・・・・・。 皆は物事を考へる時、目をつぶり、腕組みするとかして考へる。 之は何を意味するか。 目をつむり耳を開けて居ると騒音が入って来るから耳もふさごうとする。 之は心の耳目を働かそうと... 続きをみる
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未知日記講演集 こだま会日誌 第百八回 円海大師講演 坂本道博筆記 後編
未知日記講演集 こだま会日誌 円海大師講演 坂本道博筆記 後編 上に衣を着せるは親のつとめ。之が自然の産んだ不自然。 之が段々に赤ん坊を汚して行く。汚され汚されして来て人間は汚い。 大自然は純潔なもの。之を段々によごして汚す。 寒暑にたえるもの丈着せればよいが、段々によごして大自然から遠ざか... 続きをみる
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未知日記講話集 こだま会日誌 百七回 十二月六日 円海貴尊講義 円海大師の出家の経緯
未知日記講演集 こだま会日誌 円海大師講演 坂本道博筆記 前編 参照 生前日本に生きて居られた、大師の過去を知りたければ、でGoogleで探してみてください。(円海大師の修行時代、又は覚者慈音 38の水滴の行法)未知日記本編では因果論やテツシン講録、光明論など多数を著して居られます。 ... 続きをみる
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未知日記講話集 こだま会日誌 百六回 十一月二十九日 円海貴尊講義講義
こだま会日誌 円海大師講義 十一月二十九日 心と肉体と魂をつなぐこと 心は肉体と魂との中間にある。身・・・・・心・・・・・魂・・・・・心は両方の媒介者。家に居る間、家業に従事する結果、それにとらはれ、心と肉体のみ働かせ、その為魂は部屋の中にいて黙している。之は心が身の方についている。... 続きをみる
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未知日記講話集 こだま会日誌 百五回 十一月二十一日 円海貴尊講義
十一月二十一日 円海大師未知日記こだま会日誌講義 今日は雑談の形式 子供の夜泣きをなほすまじないにいろいろある。 子供にもそれを止めるまじないがあり。 今の科学から言うと滑稽だが之は原因を正すとと何でもない事。 このまじないを発明した人は修養修行の出来た人で、之を無知な人に伝へてやり、之で... 続きをみる
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未知日記講話集 こだま会日誌 百四回 十一月八日 円海貴尊講義講義
十一月十六日 こだま会日誌 百四回 十一月八日 円海貴尊講義 昔の道歌に゛極楽は北にも非ず東にも西にも非ずみんなみにあり゛ 一休は極楽はいずこにありと尋ぬればこらへにこらへしふんの出所。 蜷川新左エ門が一休に、地獄極楽はキットあるか、と尋ねた所、キットあるかと言へばない。又キットないかと言へ... 続きをみる
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未知日記講話集 こだま会日誌 百三回 十一月八日 円海貴尊講義講義
十一月 八日 今日、厳戒の辞の最後にファ、フンの二句を称へる様お許しあり。 欽情、松尾、伊東若夫人、江橋、及び坂本の五名。 今日は久しぶりに皆と座を交へて話をする。休みの間に皆は逆戻りの方が多い。 進んでいない。このままにして置くと始めの所に転落してしまうから又そろそろ始める事にする。教主様も非常... 続きをみる
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未知日記講話集 こだま会日誌 百二回 十一月一日 泰岳貴尊講義講義
未知日記講話集 こだま会日誌 百三回 十一月一日 円海貴尊講義 五月末日以来始めてこだま会集る。 今日から私も完成したから遠慮なくはつきり断言して物を言う。 今迄は教主様におさへられて断言出来なかった。 之からは不明確ないい加減な事は話さない。 二心を排して言行を一つにする様、心と言葉と... 続きをみる
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未知日記講話集 こだま会日誌 百二回 五月三十一日 泰岳貴尊講義講義
泰岳貴尊講義 円海が私の言いたい事を話したから、その続きを話す。 人間で一番大事は生死。 このあきらめさえついたら人間は本当の人間になる。 ところが皆は生きる苦しみは知って居るが、死ぬと言う箏はまり問題でない。 皆の生きると言うは肉体を生かして置く事を言う。 吾々の生きると言うはちがう。 吾々はた... 続きをみる
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未知日記講話集 こだま会日誌 百一回 五月三十一日 円海大師講義
日々安らかな生活をさせて頂いて、それが当たり前だと思って居る様では修養して居るとは言へない。 今こうして話をして居てもどんな災難が来るかわからない。 それが皆わかったらとてもこの世に生きて居られない。 この不安の世の中に今日も一日無事に暮らさせて戴いて有り難い・・・・・・。 何時間先にどんな事があ... 続きをみる
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未知日記講話集 こだま会日誌 百回 五月二十五日 円海大師講義
五月二十五日 円海大師講義 お菊ばあさんの様に・・・・ 憎しみや可愛さの伴はない愛。 求めよさらば与へられんは本当の愛。 本当に合ふ。 愛する者の為にすべてを与へてくれる。 願へば何でも下さるものだとの意味と違う。 大愛に従へば之も必ず与へられる。 心ばかりの願いをするからいけな... 続きをみる
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泰岳貴尊講義 円海が先に言った様に、人間は化物。 わけても女と役者は化物。 皆はたしなみたしたみと言ふ。 尼さんが卵で頭をみがく。 我々の目から見る時は化物ばかりだ。 身体を清潔にするのと、化粧と・・・・。 之は何の為にするのか。 美しく見せようと肉体ばかりに重点を置いて、心は皆きたない。 肉体を... 続きをみる
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こだま会日記 隠すより表るる 円海大師講話 坂本通博筆記 昔のよく言ふ言葉に、隠すより顕はるると言ふのがある。 隠そうとするから表はれる。 心にわだかまりなければ隠す事なし。 皆の家庭には隠さねばならぬ事が多すぎる。 開け放し... 続きをみる
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泰岳貴尊講義 第九十七回 こだま会日記 慈音は今日も具合が悪いから休みたいと言ったのを、円海がいけないと休ませず話をしているわけ。 今日は直接ためになる話をする。 二、三日前に飛行機が墜落して全員が死んだ。之を聞いて皆はうわさをしている。わずか四十足らずの人間が死んでそれが地名... 続きをみる
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四月十二日 皆さんは肉体のわづらいは医薬でなほすが、心のわづらひは何でなほすか。 若い人は自殺することを平気でやる。心の悩みに耐えられないから死ぬ。 肉体のわづらいより心のわづらいがつらいらしい。 結核になって長わづらいしても三年四年となほるまでじっと待っている。 この間も心のはたらきは休まない。... 続きをみる
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未知日記講話集 こだま会講演日記 第九十五回 坂本通博 筆記
三月二十一日 彼岸会は非常に美しい行事で、天界にもある。 仏教では到彼岸、パーラミツと言って居る。 祖先の霊をまつる、祖先を感謝する。 之は天界にもある。然し天界の彼岸会と下界の到彼岸会とはいささか異なる。 天界のは祖先の霊を祀る意味ではなくて、皆には少し意味が分かりにくいかもしれない。皆のは御供... 続きをみる
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泰岳貴尊講義 近頃天下り主義、民主主義等と声を大にしている。 民主主義を鼓吹してその結果はどうか。 天下り主義と言って太陽をおほってしまへば人民は育つか。と言って太陽だけで育つものでもない。時には雨も降り風も吹く必要あり。 地球と太陽とが融和して世は治まる。之大自然の道理。 皆は太陽や空気に育てら... 続きをみる