感応論 第一の巻  看破と測定  テツシン貴尊講義

感応論 鶴の使者と亀の使者の例話の続き


 我、慈音にアキレスと亀について説きたる事あり。後にこの鶴亀の論説によって感応の要点に重大関心を持つに至らん。是を慮ってこの例話をなしおきしなれば、空しく聞きのがすことなきょう注意しおくなり。一本の錐は数多の紙をさし貫く。されど太き鉄棒は是をなすことあたはず。看破測定は此理を応用して悟らざるべからず。真心は錐の如く、虚偽は鉄棒の如しと考ふべし。即ち鶴亀の使者の於て、王の脳裡に亀の使者を真と感じたるも是なり。彼は亀の背にありても王の過誤なからんことを念じ居たるならん。さればこそ王の脳裡に深く映じたり。
 一方鶴の使者にありては唯王を欺かんと謀るなれば、二心にして鉄棒の如く、亀の使者の錐には比ぶべきようもあらざるなり。若し王にして智慧の測定あやまらば国も身も亡ぼされたらん。看破測定とは離れ難き関係ある事も知りたるならん。汝等は是を悟りて何事に対しても、看破測定をあやまらざるよう意を用ゆべし。世の中の人は己の不注意を棚にあげて、何事も運命なりと放棄するは愚なり。運命とは斯るものにあらず。失敗も運命と放棄する事なく再び誤を繰り返へさぬ手本たらしむべきなり。運命なりと放棄するは自尊心の強き故なり。運不運とは人力の如何ともなし難きを云ふなり。長寿者は幸運にして短命は不運とのみ云ひ難からん。富めるは幸運にして、貧しきは不運とも云ひ難からん。されば修養に修行を重ねて幸運を作ることこそ望ましけれ。
 汝等が口にする智慧を絞り出すと云ふ面白き言葉あるに、汝等は一種の形容詞と考へて深く止め居らざるを知れり。この絞り出すと云へるは真に当を得たる言葉なり。何となれば静座し或は鍛錬するは心の雑種を押し下げて、その圧力に依て潜在せる智慧を上昇せしむる法なれば、即ち圧力に依て智慧を絞り出す妙法を指したるならんと我は思ふなり。座禅静座は即ち智慧を絞り出す法ならずや。智慧の水を絞り出す手拭ならずや。汲めども尽きざる智慧のポンプならずや。我、汝等に教ふる看破測定の大意は此智慧を現はさしむる方法なり。世の中の事柄多きを一々説明し尽さんとせばなかなかの事にあらず。然し教主寛大の宣せられたる如く、「一法を修すれば万法に通ぜん」と、仰せられあるに徴しても汝等は知る事を得べし。依てすべてを看破測定せんとせば、心をおちつけて智慧を絞り出すことを考へ、平心鏡心の術に工夫の道を開らき得る新しい法も工夫せば可ならん。看破測定の要訣として最も大切なる事は、善悪の心を以てあたるべからず。何となれば善悪の心を以てあたらば信不信疑不疑の心に変じて、完全なる成績を得ること難ければなり。

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