感応論 第一の巻   テツシン貴尊講義   看破と測定

2020.11.29
感応論 続き


 汝等は云ふべし。我等の親ならんと。然にはあらじ。汝等の親は神の御力にして、汝等を養成する救主にして智慧の権化なり。即ち智慧とは気光素なり。気光素なるが故に善悪を通じて働きをなす。或時は善ともなり、又或時は悪ともなるなり。この智慧の用法に依って極楽も地獄も得らるるなればこそ、人は修養修行を必要とす。平心に依って心も穏かならしむれば心の動揺は無く、その身も共に全きを得んこと疑いなし。世の中の人はみな斯くならば戦争と云へる罪悪の苦よりまぬがるべしと考ふるならんも事実は然らず。恰も蜜蜂と同様の結果となればなり。蜜蜂は適宜に蜜を切り取らずば、働労を停止して果は飛散す。人もみな和に馴るれば斯くの如き結果を見ればなり。然ればこのままになし置きなば可ならんかと云ふに然にはあらず。是等については我等も神の命に従ひて働き居るなり。汝等も時至りて我等が許に来らば、共に命を受くるならん。汝等は作りし体験より、ミキョウが語りし早苗の法を考へ見ば悟る処あらん。俗言に「禍(わざわひ)も三年経れば幸となる」と云ふ比喩の如く、禍福あるにより活躍はなさるるなり。平心鏡心を得んとせば様々の障碍はまぬがれじ。是に堪えて初めて成功を見るなり。話は横道を歩めり。元に返らん。
 或国王の許に二国の使者来りて謁見を求む。一人は鶴に乗り一は亀に乗りて来れりと。然し二国の国人はみな急ぎの要件なりと王に告げたり。依て何れの国人を先に面謁せしむべきかと従臣の問に対して王の曰く、「亀に乗りたる者は急ぎの要ならん。故に彼を先にせよ」と命ず。従者王に向いて云ひけるは、
「亀にて来りたる国は遠く、鶴にて来りし国は近し。然るに鶴にて来りしは急ぎの要ならずや。宜しく鶴の使者を先に面せば如何に?」と王、曰く
汝の言葉一理あり。されど亀にて来りし者は遠きが故に鶴を用いず。亀にて道の安全を計りつつ来りしならん。然りとせば彼の要件は極めて重かるべし。よって亀を先にせよ」と云ひて亀の使者を先に迎へたり。使者来りて王に云ふよう。
「汝の隣国より交際を求め来るあらん。然れども決して和睦を結ぶなかれ。彼は汝の国情を探知して攻め来らんと謀ればなり。我鶴に乗りて早く報ぜんと思ひしかど、若しあやまりて海に落ちなば、大事を失する怖ありと思ひ、遅るる知りたれど亀に乗りて来りしなり」と。王は又鶴の使者を招きしに彼曰く、
「汝の隣国より交際を求めに来るあらん。彼の国は富める国にて汝に益する事多かるべければ長く交誼を厚くすべし。我この吉報を速ならしめんが為に鶴にてとび来りしなり」と云ひたり。斯くて使者の去りし後、王は従臣を集めて云ふよう。
「汝等は何れの使者を正しと思ふや。
従臣異口同音に鶴の国ならんと答ふ。王曰く
「何故に正しきや」従臣曰く、
「鶴の使者は喜びを速かならしめんとし、亀の使者は嫉みの心より時間を厭はず、何れにてもよしとの態度にて来れるにて真実にあらず。却て交誼を割かんとの計画ならんと思ふなり」と。王従臣を諫めて曰く、
「汝等の思ひはあやまてり、鶴の国と隣国と相謀り我と交誼を結ばせて、我を陥れんとなしたる事明らかなるを我は知れり。亀の使者こそ真実にて我を救はんとなせるなり」とて、間者を隣国に遣はして探索せしめしに、果して王の言葉の如くなりき。ここに於て王は再び従臣をを集め曰く。
「視よ。汝等の考へは悉くあやまてり。亀の使者は嫉みたりとなし、鶴の使者の術中に陥らば我は亡ぼされたるならん。亀の使者と鶴の使者との距離等しければ、彼は亀を用いず鶴にて来りしならん。然るを我を思ふ念厚きが故に、安全を謀り時を惜まずして我に来る。この真心は何とて通ぜざるべけんや。真心ならざるべからず」と。
 此話は看破測定に対する一例にすぎず。又是と反対となる事もあらん。然れども看破測定にては是と反対に鶴に真実なること、亀に計画あることもあらん。然れども王が最後に云ひし真心ならざるべからず。即ち是なり。看破測定について斯る例を用いたるについて汝等は深く考慮すべし。是を単なる雑話と考ふべからず。又是に反対する様々の反駁論に依て空しき空論に終ることなかれ。汝等が是に対する異論は悉く我は知るなり。されど特に斯る例話を用いしには感応論について深き意味の含まるる故なり。

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