感応論 第一の巻   テツシン貴尊講義   看破と測定

感応論 看破と測定 続き 


 或人木登りの名人に極意を聞けば登るよりも下る事を考ふるなりと云ひたりと。汝等此理を悟り得るか。すべて物事は訳もなき所に真理のあるものぞかし。登らんとして唯上る事にのみ心奪はれて却て登るあたはずして顛落す。されば五丈の木に登らんとせば十丈と測定して登らば易々のぼる事を得べきなり。
 是等も看破測定の法に合はん。すべて圧力と引力との平衡を欠く時は物事成功せざるなり。汝等静座して気をおちつけ邪念妄念雑念を払はんとして、唯一方に傾くによって平衡を欠くなり。是圧力と引力の一致せざる故なり。母の乳房にすがる嬰児を見よ。唯訳も無く飲み居る如く見ゆれども実は然らず、圧力と引力との平均を保たんがために、足の母指には非常の力を入れて手を乳房にあてて力をこめ居るも、みな平衡を計り居る事を見逃がすべからず。汝等は婦人の乳を嬰児の如く吸ひ居る事難かるべし。是に依って見るも天性の偉大さを知るならん。静座して平心鏡心を完全に得られざるは引力一方に傾き居る事に心づきたるならん。故に是を平均せしむる方法として圧力と引力との平均を計る工夫こそ大事なり。
 されば此方法としては唯心をおちつけんと思ふ一方に偏らしむる事なく、肉体の筋肉を平均する事を計る事は、禅の公案思慮を与ふるも是が為なり。何も考へず唯座らば平均は望めざる依てなり。所謂下腹部に力を強くする時は、却て頭に気の上るは引圧の平均原理より生ずるなり。是をよく塩梅して徐々におちつけ得る工夫せば肉体に無理なく、却て安らかなる静座をなし得る事を知るならん。不思議と云ふ事も仔細に観察せば必ず看破測定なし得るものなり。如何になすとも感銘せざるは不思議にあらずして智慧の至らざる故なり。我等不思議と思ふは唯神の恩恵なりと思ふのみ。是は我等の智慧の及ばざれば、不思議と云ふ言葉よりなきなり。此不思議と云ふ言葉を解決するものは即ち智慧なり。然らばこの智慧は何処より発生し、又何処より来るや。ものを看破し得る智慧の来る処を明白にし、是が運行に依らずんば正しき看破測定は得られざるべし。然らば智慧とは何ぞやと迄検討せよ。

 

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