感応論 第一の巻   テツシン貴尊講義   看破と測定

催眠術と読心術について


 先づ一つの考へは汝等の無智無能を現はし、二の質問は迷ひの心を生ず。又三の質問は智慧を喚び起す結果となるなり。故に三を択ばば可なりと答ふるならん。そは何れも名答にはあらざるなり。何となればみな正しき質問にあらずと答ふれば可なり。斯る質問をなす者の智慧は乏しければなり。汝等は千里眼者に問はんと思ひて、彼が前に座せしとき言葉は口に出でざれども、汝が胸中には既に蓄へあるによって其が術者の心に映じたるにすぎざれば不思議にもあらず、又神業にも魔法にもあらざる事を知るに至るなるべし。汝等に於ても平心鏡心の行いをなさば、斯る事は安々となし得らるるは当然なる論旨は既に述べたる如し。然れどもこの千里眼者の汝等の要件に対し、未来を回答して是を明確になさしむれば、そは又更に考究せざるべからず。何となればそは予言にすぎざればなり。その事柄については正しきも正しからざるもあればなり。
 読心術も亦同じ理なり。唯異なる処は先方の心の動きを、我と同時に行ふと云へる相違にて、即ち先方の暗示を適当に受けて、我は自己催眠状態となると云ふ事、是は催眠術にて説くべし。ここに注意を要する事は、平心法より進んで鏡心法に移る時なり。座禅に於ひて禅天魔に犯かさるるも此時なり。催眠術に云ふ自己暗示も是なり。あやまてば、魔に犯さるる憂ひあれば心せざるべからず。即ちまと云ふは隙間とか隔りとかにして、物と物と合はせたる時、その合せ目の間、即ちまと云ふなり。間(ま)を作れば風と気体も自由に通過す。是を間に侵さるると云ふなり。故に油断は灯火を消す。是も亦まの一種なり。隙間の風は開け放せしより却て寒きものなり。この事を知りて平常の努力を要す。汝等の修養を見るに行をなすを特別になし居るは油断なり。今少し時間の余裕あるに依って修行せんとか、或は静座せんとか云ひ居るを耳にす。是隙間を作り居るなり。油断は禁物なり。たとひ平常静座する時間なくとも静座の時の心を忘れずば隙なし。所謂平常静座なりとの心意を強くせば、たとひ静座の時間を作らずとも、静座して後に空虚を作るに勝るなり。汝等この心構へにて家庭を処理すれば立派に好結果を得ると知るべし。汝等は静座して心を丹田に落ちつけしめんと計る時、心が却て浮立つを抑圧せんとして却て上昇を感ずるために、神経の焦燥を感じ、却て様々の雑念を誘ふ結果、無駄なる時間を空費に終りて、何等効果を得ざるは何故なるかを知るや。そは心の平衡欠くものと思ひ居るならん。看破測定法より是を考へみれば、頷ずき覚る所あらん。

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