感応論 第一の巻  看破と測定  テツシン貴尊講義

2020.11.27
感応論   第一巻   看破と測定    テツシン貴尊口述


 水は逆に流るるものにあらず。若し流るるとせば是は流るるにあらずして圧力なるべし。汝等の心にも水の圧力と同様の働かせかたをなしつつあるを以て、無用の心労に終ること多し。水の低きに流るるが如くあらずんばあるべからず。高きに圧登せしむるとも軈ては低きに返るべし。看破測定の秘訣此処に在り。看破せんと欲するは既に圧力を加へんとなすに等しければなり。すべて見破ると云ふ力の働きを行ふには、先づ看破せんと考ふる事なく、其映り来る現はれを徐々に取り入れて、然して自我心を起さぬ修行を練磨するは大切なる方法なり。すべて物事を看破せんと我から求むるに依て、自我心の方が強く働き平心を乱す結果に終るのみ。されば如何に修養し修行せば可ならんかと云ふに他なし。平心にて看破せんなどとの心を起さず、すべて親に任せおけば親は看破する力を有するを以て、汝の心に伝へ給はん事疑ひをさしはさむ余地なきなり。
 さて看破とは又測定とは如何なる事なるかと云ふ理論を始めになさずして、話を前後せしめたるには訳ありてなり。汝等は看破とは文字の如く解し居ると信じたるによって、汝等の思ひに即応して今迄の道を語りたれど、我の説く看破とはその意味異れるなり。汝等の考ふる看破の範囲は極めて狭く、我の説かんとするはその範囲極めて広し。故にこの理論於ては甚だ複雑となるは止むを得ざるなり。されど此わきまへ充分ならざるが為、汝等は迷ひ多ければ、是を明白にして迷信を打破せしめんと思ひてなり。
 先づ世にさわがれたる千里眼とか読心術なるものより語らん。汝等は是等の事を軽く見、或は問題にせず。されば是に反論もなさず、又研究もなさずして一種の手品の如く思ひ居るもの、或は不思議にして神業の如く思ひて尊敬し、彼のために迷道に引き入れらるる等々あるは遺憾なり。斯る事の為に世を害する事の甚しきを、我は嘆かはしく思ふなり。兎角迷信盲信は世を害するのみならず、神を冒涜する故なり。神を冒涜する罪は極めて重ければ心せざれば、取り返しのつかぬ罪となる怖れあればなり。千里眼と云ふ法について考へ見よ。不思議とするに足らざる事を知るべし。

ここに一例をあげて汝等に考へをなさしめんと思ふなり。汝等もし千里眼者の許を訪れし時、彼は汝等の頼まんとする用件を云ひあてたれば、汝等は是を聞きて我から語らざるに既に彼は是を知る。実に神の如しと敬慕するや。果して魔法によりて斯る事を知るならんと思ふや。又不思議なりと小首を傾けて其理を究めんとなすや。汝等何れを択ぶや。この三つにあり。

×

非ログインユーザーとして返信する