感応論 第一の巻  看破と測定  テツシン貴尊講義

感応論    2020.11.26
第一の巻      看破と測定    テツシン貴尊講述


平心と鏡心を常に保持することを得ば、感応は全く道となるなり。又其のみならず平心鏡心ならば他と争ふ憂ひなし。のみならず他と融和の交はりをなすに至らば、人間界の幸福これに勝るものあらんや。されば汝等は汝等の心に合ふ法を工夫努力して、平心より鏡心へと一歩一歩進むべし。我は五手の法も可なりとす。又親に相談するも賛意を表す。然れども汝等は一日家庭の業あるを以て、行ひ難き点を考慮すれば今一二の法を示さん。
 先づ朝、床を離れし時のすがすがしき気分を保持せんと計ること、二に業をなすにも(家庭内の業)物を考ふることをなさず。例へば掃き掃除をなすにも他の事を考へず、その事のみに専念することに意を用ふるなり。掃除の中途に訪問の人あらば潔く掃除を中断して、訪問者の要点にのみ心をおくと云ふ法を用ふるも、平心鏡心の域に到達するなり。一の朝の気分を夕迄持続するは容易の業にあらず。我、行法にて説きたる常住坐臥明朗なれと云ひし法に合ふ一つの法は、思ひを一にして二つを考ふる勿れと云ふなり。例へば飯焚きをなし居る時、来客ありてその儘彼を迎ふれば、飯と彼とに心の要する以て平心の業はなりがたし。然れどもその火を消して彼に対せば思ひは帰する故に、二心にはならざる如く、常に一心を持続する事を工夫せよ。然して何事をなすにもその行ひにのみ従へば、平心より鏡心を得らるるなり。汝等明日を考ふる勿れ。天寿は何日はつべきかは期し難し。唯一時間と観念せば可ならんか。我は一分後と云ひたけれども、それは却て汝等の心にヒシと感ぜざるが故に一時間と説きしなり。されば何日はつるとも後に念を残さぬよう、すべてを処理しておくことを工夫すべし。
 物事を看破するには唯平心鏡心のみにてなし得べきにあらず。即ち平心鏡心は看破測定の準備にすぎずして云はば機械なり。その機械を用ゆる法なかるべからず。唯機械を巧みに使用すべき技師こそ必要となる。其技師とは誰なるか語る迄もなく智慧ならん。魂魄一如とならざれば智慧の影を求むるあたはざるなり。智慧は空源力の現はれなれば、如何なる事に処してもその判別を明らかにしてあやまつる事はあらざるなり。所謂空源力の現はれとは、即ち汝等が親なる事を知るに至らん。 

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