未知日記講演集   こだま会日誌  第百八回   円海大師講演   坂本道博筆記 後編

未知日記講演集  こだま会日誌  円海大師講演  坂本道博筆記
後編


上に衣を着せるは親のつとめ。之が自然の産んだ不自然。
之が段々に赤ん坊を汚して行く。汚され汚されして来て人間は汚い。
大自然は純潔なもの。之を段々によごして汚す。
寒暑にたえるもの丈着せればよいが、段々によごして大自然から遠ざかり、自我心自尊心、之が色を変へて出て来る。
自我心、優越感は尊いものでない。着物を着れば人間、まとはねば大自然である。大自然が尊い。大自然の裸体は汚れなし。人間性欲心、ああしたらみっともない、こうしたらみっともないと世間体を考へる。世間体を作るにはそれ丈の備へがいる。この為にいろいろな事をして無理算段して苦しい生活をする様になる。

動物性はたらきが心。
大自然に順応した働きでなくてはいけない。
たましひと心の間にはつながりがある。中間性。
良心と皆が云ってるものがたましひ。
心と言うのは着物を着た釈迦。
生まれたての赤肌の釈迦がたましい。

其時坊さんがあの生まれたての釈迦を見て、もしあの釈迦に親があり、之が討たれたとして其仇を討つ事ができるかと言はれた時、私は私が赤ん坊だったら早く成人して仇を討つと言うのはこころ。
もし生まれたての赤ん坊ならば父が殺され様とも、仇討等考へまい。又若し父も、私も生まれたての釈迦だつたら仇を討つてくれとも仇を討つとも言うまい、と考へた。
坊さんにすすめられて坊主になって敵を探し乍ら托鉢して歩いた。之が私の坊主になったはじまり。一日中何事も無ければよいが、何か一つ大きな事件があればそれを解決するまではどうしてもとれない。之が良心と心との相違。心は朝から晩までくるくる動いている。
〇,〇気 心気と魂気とを繋いでいるコンマの気体。 中間性の気体。
之を清除せねばならぬ。
だから気にかかる事は片付けよと言う。
心は空の中に(カラッポ)あり。たましひも空の中に現実化している。動いているからである。
空の中に実あり。実の中に空ありと言う。
たましひは永遠不滅。之を天界へ導かねばならぬ。
私達は、皆此の世にいる短い時間を守るのではない。(これらは宗教者にまかせておく)
このまま置けば皆は十一、十二流界に落ちて行く。
之を一流界の方向へ導くのである。
心の働きの迷いからたましひを傷つける。
心ばかりを働かせて良心を働かせない。
時には之は悪い事をしたと思う事はないか。(なければ幸せ)。
こんな時は心の思いがコンマを通して魂に通じたもの。
たましひはその悪い事を悔い改めたらなほしてくれる力がある。
あなたのたましひにあなたの心が懺悔すると之を許してくれる。之がコンマをはづした事。
たましひが天上天下唯我独尊。
拝みも懺悔も、心がたましひにするのである。
たましひは奥座敷に居る。心の家族が勝手に騒いで居る。
五体、目口耳、手足等は家族。
神が仮に頭として、頭を下げるのは心が神(頭、上)をよぶのである。手を合はせるのは家族が集まって呼ぶのである。
こんな事をしなくても神を忘れねばよい。
太陽はたましひ、星は心、地球は肉体と観察する事も出来る。
本を読みながら、雑事をしながら拝みは出来る。
肉体にとって魂程尊いものはない。だから之をいつも拝む。
信仰には霊を伴う。
進行、魂、心から魂を拝む、魂を信じる力が唯我独尊と言う事がわかったら本当の信仰者となる。
考へる=感じを変へる。
心配事がある時じっと考へて居るのは、たましひと心の一体化を計って居る。
その時ハッとよい考へがうかぶ、之は魂が心に教へた。
こうなったら仕方がないと本当にあきらめるのは魂の力が心を動かしたもの。後から後から心配になるのは心の苦痛。たましひの苦しみにあらず。
之は家族が悩むからである。
だからいつもにこにこする様せよと言う。
三味一体ならばあきらめられる。之が大事。

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