未知日記講演集   こだま会日誌  第百九回   円海大師講演   坂本道博筆記

未知日記講演集   第百九回   こだま会日誌  円海大師講義


十二月二十三日


人には心の動き、たましいの動き・・・・・。
皆は物事を考へる時、目をつぶり、腕組みするとかして考へる。
之は何を意味するか。
目をつむり耳を開けて居ると騒音が入って来るから耳もふさごうとする。
之は心の耳目を働かそうとしている。
耳はふさげないからいろいろのものが聞こえ、それ丈ならよいがその上にいろいろの妄想が起こる。゛之が心の働き ゛肉体と魂の間に心が入って邪魔をする。
それで精神統一と言って静座等をする。そして心を平らかにし落ち付けると何か良い考へが浮かぶ。之がたましいのはたらき。
静座して気を落ち着け、じっと考へるはたましいを呼ぶ方法。
肉体にある耳目口鼻は、心にもたましひにもあり。良心即ちたましい。
良心と言うよりむしろ良魂。之は良魂だから汚れなし、故に汚れぬ清らかな事を教えてくれる。魂が心を苦しめて死に到らしめる程である。
死ぬ程になり、死ぬに到る前に悪かったと悔い改めるまでは許さない。
善い事をしてはほめ、悪い事をしたら報いをくれる。
罪は自分が求めて自分が責めるのである。之は自然の経路。神の与へたるにあらず。
大自然とたましひは調和しているが、心がはなれているから
心を自然に和せしめ様として責める。三寒四暑、之は支那の易の言葉。日本でも天文学者が使って居る。三日寒い日が続くと四日暖かさが続くと言う。
之は自然のめぐり、自然の法則。仏教では三ジン四ショ。
音楽では三対四律の法則。
皆この法則あり。之に順じなければ破壊となる。
此の頃の日本の音楽が破国の音楽となっている。
表面の音を律としたら、裏面の音が呂となる。それで裏表。
一つの音を二つに使いわける。
ドならドーとままっすぐに出せばよいが、之を陽にしたり陰にしたりする加減で破国、起国となる。ここに音楽の大事な所がある。
自然の無言詞を有言詞にかへるのが音楽。
用い方の自然を外すと、自然にかなうとで異なって来る。
人間は道をまっすぐに歩けばよいが、逆行するから転落する。
興味に誘われていろいろな方向に向って転落する。
ヒマラヤ山に登山隊が極めるに失敗したニュースがある。
之等も形ある山の頂きに登るにはその法があるもので、登って別段不思議はない。
だが失敗したのは法に合はない歩みをするからである。過ちを犯したのである。
法を知らないから過ちを自分で起す。
三対四律は掟。この法則にかなった生活をして居ると罪を犯す事はない。
たましひ程おきてに従い、正しく守るものはない。
だが心は肉体にとらはれて居るから迷う。
たましひに肉体をまかせておけば過ちがないが、
肉体の目はすぐに人の生活を見てうらやむ。
たましひはお前の分度が違うと言ってきかない。然しこう言って魂に教へられても
肉体は承知出来ない。うらやんで来るのは肉体。之は心と肉体がする事。
たましひは自分の個性を守っている。分度を守って居るから許さない。
理屈の良い時は魂に従い、都合の悪い時は従はぬ。
恨んだり憎んだりするのは心。
だから心を魂に従はせる様にするのが修行。
自分の個性を引き延ばすのが人間の役目。
たましひは全宇宙の大自然の法則にまかせて大自然に順じているが。決してそれ以上の事はしない。然し心と肉体は勝手な事をする。
栄養を取らねば肉体は亡びる等の事柄から、無理をして罪を犯す事になる。すると魂は許さない。肉体は勝手気ままに行動して言う事を聞かない。
地球は今、地獄の修羅場に呻吟して居る。世界の人類は心の働きのみで動いて居るから。つまり唯物主義。肉体と心を殺す。
ものを知って居て行へない。之は物知り。
悟りは差を取る、行いにする事。
知る丈で悟らないから悪い事をする。唯の物知り程、始末に困るものはない。

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