未知日記講演集   こだま会日誌  第百十一回   円海大師講演   坂本道博筆記

日時不明  未知日記   こだま会日誌      円海大師講演  坂本通博筆記


無の音が大事。之を言葉で言うと゛感じ゛という事になる。
有の感じ、無の感じ。之が音楽ではむづかしい。
曲の中に潜在して居る何ものかの感じ。
同じ曲を聞いて、各人感じが違うかもしれぬ。之が大事。
無の表現を(有の表現から)させる事。之が作曲家のむづかしい所。
之はリズムやメロディ丈でもいかない。言うに言はれない。つまり無言詞。
有の中に潜在する無の感じを聞いて、いろいろと人間に感じを与へる。之があるから巧曲がある。
常識と信仰  霊的信仰  たましいの信仰。
日常生活も信仰。  神を拝むは信仰に当らず。 神仏を念頭におかず。
自分を信ずべし。  自分を知れ、そして始めて神を知り得。
自分の中に授けられた大きな働きあり、之を知らぬは自己心なり。
人を見下す自尊心。之は人を信じないからだ。尊ぶべきは人のたましいなり。
人に甲乙の区別なし。 人の言に腹を立てるもこれ(自尊心)なり。
之を取り去り、自分を知る。自己を捨てる。
拝むはたのむを意味す。之は肉体信仰。自我を去りて人を尊ぶ。
己より以下のものなし、皆同じ。゛天に口なし、人をして言はしむ゛
゛皆、神の言葉と思う゛
常識信仰  非常識は信仰にならぬ。  常識は昔からの宗教が作ったものである。非常識は人間が作ったもの。
流水暗示、あの観音を信ずれば必ず験ありと信ずれば、暗示が働きあって験あり。
゛世に大事なものは暗示゛ ここにはっと気づくことは一つの暗示になる。
心にかかった暗示がそだったものが信仰となる。
行き詰まりにヒントを得るも暗示の働き。
窮するまで進行して行けば必ず成功す。
自分のこころだけで物を処理して居るとだめだ。この大きな霊の働きを有す。
肉体を頼らず、たましひを頼るべし。
自尊心があるから進む。だが出来ないから空頼みをする。霊が監督する様になれば、天からの役目を果たせると考へれば進む。
下のものの言う事も聞き逃さず、自我を捨つべし。
自分のたましひが何であるかを見付ければ、されで信仰である。
自分を見付けたら之を逃さず、育てる様にすること。
魂(たましひ)と言う親に背を向ける。之に面(おもて)を向けて親にすがれ。
神の掟を破って勝手にするから踏みはづす。之を罰の様に思ふ。之を常識で判断せよ。
我情、我欲、我心を捨てる。
人間の世の中は皆、錯覚。之を去れば一如。
霊と一如になり、親霊の声を聞くなり。
未知日記より、
夕べ死して朝に生まれし赤児となるべき工夫の修行。
いつもかなはぬ時と思いて神頼みの心、起こさば魂魄は一如となるべし。
魂は無形暗示の結果。年により魂魄入れ替わるは念を交換するなり。
怒り悲しむは魂に傾き、一時の楽しみ喜悦は魄に傾く。即ち迷い。
不安と思ふは一方の働き。一方潜在して眠るなり。
根源の霊に立ち帰りて、すべてを霊の命ずるがままに行へば必ずや通ず。
罪あるも霊にまかすべし。煩悩も悪念も霊にまかすべし。
煩悩燃ゆるも可なり。苦しみて払うに足らず。
過去を思ふはわきみなるぞ。死したればすでに過去は清除せられたり。汝は死せしなるぞ。何事も親にまかせよ。
苦しみてするも楽しみてするも同じく、為すは、重荷は、同じなるに、楽行せざるは何故か。不平ある故なり。
人は一分後を知らず、その時々に処して臨機応変の処置をとるは賢なり。
゛霊光ありと信ずる力を強くせば既に帰するを得たるなり。
゛早合点、早のみこみをすべからず。はやる心を押し静めて、今一段掘り下げて。
゛学ぶとは行為にして、行はざる学びは反故に等し。


魂の自覚に持って来て、すべて実感に持って来て実証し、確信することが必要。
飯を食するも法であり、めしは光明であり、神の恵みであると言う事。
我が一挙一投足と、法(大自然の法)とがくっつかないといけない。
法をおこないつつ法を知らない。動物性を食していては、光明にならずして(煩悩)の炎になる。
自分で信仰を作ると言う気になると間違いが出来る。
はじめより備はっている。之を引き出す法なり。
魂と共に潜在なし居るものなり。
魂を求むるには信仰と共に求むるにあらざれば得難し。
信仰を高むるは拝みに依る。神を信ぜよと言うは法。神と言う峰にって魂を見いだす。方便の術なり。
信仰を育てて行く事と作る事は違う。
人智によって神を知るは不可能。

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