第一巻  未知日記  平心の巻  宇宙と自然  テツシン貴尊講義

2020.11.26


感応論 第一の巻   テツシン貴尊講義   感応の大要
五手の法について


 ミキョウは是を汝等に教へたり。即ち肉体の刺激によりて心の動揺を感ずるを防がん為に、呼吸と脈を整へてその刺激を防止せんが為の方法を教へたるなり。又合掌低頭するは混濁せる心を沈静する方法にして願ひごとをなせよと云ふにはあらざるなり。又腹部にて手を組めとはおちつかぬ心の動揺を鎮圧するためなり。又膝に手をおくは神の声を聞けよと云ふこと、背後に手をおくは疲れし心を休養せしむる方法なり。是は五手の法とて理に合ひし法にして迷法にはあらず。然れども道理を知らずして行ふとも何等の利益なし。理を知りて行ひて始めて効果あるなり。
 すべて法を行ふもの先づ理を知りて会得して行はざれば正しきを得ざるは当然なり。唯教へを受けて直ちに行ひ得るもあれども、そは理を知らずとも既に理ありてなすことを得ればなり。汝等は理を究めとする力少なき故に、些細の事をも奇蹟と称するが為に智識進化しあたはざるなり。薬石を用いることなくして精神的に病を治療して治癒せしむれば、神業とか奇蹟とかに帰せしむる如きは誠に愚なり。汝等は些細の不思議を奇蹟と云ひて唯感心すれども大なることには無関心なり。地球は載する台もなく、支ふる突張もなきに空間に浮遊するは奇蹟とは言はざるにあらずや。然らば地球の空間に流転する原理を明白明確につかみ得て奇蹟と云はざるか。我は曰ふべし。汝等は是等を精確に認識なし居らずと。若し汝等にして此理を精確に認識しあるならば汝等はすべてに迷はざるべきなり。汝等は学者が測定したる学理を信じて、地球のことなど我身に余りに関係なしとて、深く考慮に入れざるが故に無関心にてすまし居れるなり。
 地球と太陽との距離に於てすら汝等が知り居る数字と事実に於て相違し居るため、すべてに誤算なし居るなり。何となれば太陽と地球の距離を光の速度のみにて計算して測りたるのみにては、完全に測定するあたはざればなり。是等について詳しく説明するは、我の本意にあらざれば省略す。汝等は斯る姿の地球の不可思議を奇蹟とも考へずして、治癒すべき病気の治癒するを奇蹟として放置する如きは愚なるのみならず、却て是等より迷信を引き起す基となるに至らん。

 是と反対に迷信と思ふことより、思ひもよらぬ発見をなすこともあるならん。紅療法或は墨療法などの類は是なり。禁呪などと等閑に附したる処にも究むれば、思ひがけぬ薬物も発見し又精神科学の参考となる資料の発見を見るものなれば、注意と工夫とに意を用いることなるべし。講義は枝葉に入り申訳なし。されば本旨にかへらん。

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