感応論  第一の巻  平心の巻  宇宙と自然  テツシン貴尊講義

2020.11.25


感応論 第一の巻   テツシン貴尊講義   感応の大要


 姿を水に映して我と我相対す。汝、彼にあらずして即ち汝なり。汝の声は山にあたりて汝の耳に返る。是又誰の声にあらずして汝の声なり。即ち汝を出で汝に返る。是感応の原理と云ふなり。若し水なくんば汝の姿もなく、山なくんば声も亦無からん。水ありてこそ山ありてこそ姿も見えたり。声も亦聞きたり。水に依りて我を感じ、山に依って我声を感ずるとせば、水は法なり、山又然り。過ってミキョウが汝等に語りたる平心法鏡心法は此の理に基くなりしに、汝等は唯茫然と聞きて、此意味を悟る事を得ざりしなり。法は理なくして成立するにあらず。故に理を究めて会得して初めて成る。
 例へば川を渡るに舟を置き、橋を渡すも法なるべし。是に代るに斧を以てして益なく利なし。橋を渡すも舟を置くも理に合ふ法によらざるべからず。斯くの如くせば斯くなると云へる結果を究めて、法は成るなれば不法は成立せざるなり。汝等は漠然と聞きて行い得ざるは、ミキョウの罪にあらざるなり。ミキョウは云ひたり。
 汝等手を合せて低頭したる感じ、又胸にて合掌したる感じ、背後に手を廻して下におき体をそらしたる感じを比較して考へ見よ。然る時はその各々に於て、異なる気分を味ふならんと。然るに汝等是をすら行はざりしなり。
 ここに於てミキョウは汝等に今少しく積極的なる法を以て、四線の法則による修行の道を知らせたるなり。汝等ミキョウに感謝の誠意を捧ぐべきなり。汝等は平心鏡心の法を軽く見居れるなり。是を消極的に考へ居るは誤なり。それは理論をのみこみ難かりし為ならんも、今少し考慮工夫に真剣なりしならんには今日得る処多かりし事なるにと、気の毒に思ふなり。
 汝等が口にする明鏡止水とは感応の原理とも謂うべき事柄にして、是を基礎として深く工夫思慮せば、玄妙不可思議に達せらるるなり。所謂明鏡止水なるが故に感応す。若し汚濁騒廻せば感応導交することなし。汝等の心は長寿を願ふによりて平心を得るあたはざるなり。汝等如何に神仏にすがるとも肉体には限りあり。明日をも否時をも否分をも知るあたはず。然るに種々様々の道に心を砕くは恰も水槽に石を投ずるに異ならず。斯る有様にては到底明鏡止水は思ひもよらざるなり。明鏡止水にあらずしてなんぞ感応感受することを得んや。神の光明赫々と輝きあるも、汝等の波に砕かれ受くるは唯漠然として雲の如し。されば常に平心をたたえて鮮かに光明の恩恵に浴することに心掛くことこそ肝要ならん。

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