第一巻  テツシン貴尊講述  平心の巻  宇宙と自然

 2020.11.25


 汝等は自然より生れたれば自然に帰るなり。自然は神なりとすれば神に帰る。即ち神の家に帰るにてはあらざるか。肉体は自然の働きより生じたる機械なり。器具なり。ミキョウが云ひし稲なり。藁なり。穂なり。籾なりと思はばこと足る。是を宇宙と考ふれば、汝等が魂は太陽にして、肉体のすべては月星其他空間に時間にみな、其々に合はざるもの一もあらざるなり。
 宇宙は相互に持ちつ持たれつして、存在を継続しつつあるは人界に於ても同じ。然るに人界に於て我慾我情我見を恣にして、利己にのみ囚はれて神の恵みに反するは何事ぞ。みな其々に授けられし特性を知らずして、自尊心と優越感をたくましぅして、他を虐げんとは言語に絶えたることならずや。神は是を憎み給ふならんと我は思ふ。然し神の御力は我等の計り知る処にてはあらざるなり。
 されど汝等は肉体について考へ見よ。胃は食物を入るる器なりと自尊して、他を顧みざれば汚物の他なかるべし。他の部分に於ても同様の結果とならん。故に相寄り助けて全きを得んとならば、利己を捨てて共に協力するは神の本義なること明白なり。利己にのみ囚はれて身勝手の行動をなすは不自然なり。我、感応論を説くにあたり、先づ緒論としてこの事柄を述べたり。若し汝等にしてこの理を知らずば、如何に感応の理を語るも空虚に終らんことを怖れたればなり。故に汝等是を繰り返し、繰り返し読み、とくと合点せんことを望む。

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