感応論  第一巻  平心の巻  宇宙と自然  テツシン貴尊講義

光(こう)と気体との関係 其三


 固体が光(こう)、気によって成立するは不審にあらざるなり。何となれば固体も柔体もすべては細胞の集合なればなり。例へば水は冷却されて氷となるに等し。又鉄は熱せられて分解して湯となるも此理による。行者が石割の法と云へる手にて石を砕くは此理より編出したるものにして、所謂柔らかきにて強きも砕かるると云う教へなり。石は瓦を粉砕すれども、石は綿を如何ともなすあたはず。石割の法には是等を応用したるものなり。法力に於て種々の呪文を称ふるは、気光素を働かさんために、魂魄一如たらしめんが為にして、深き意味あらざる事も諒して可なり。
 魂(こん)は圧力を表面に現はし、引力を内面化する特性あるは既に述べたり。されば物を見て欲しいと感ずるは引力にして、求むるを得ざれば嫉妬を起すは圧力なり。魄は是と反対に引力を外面化し圧力を内面化す。人の憐む心は引力にして、是を助けんとするは圧力なり。魂魄の相反する引力圧力の相違によって、ここに摩擦を生ずるを以て神経苛立ち相反目するを以て、憤りを生じ、哀愁を覚ゆる等様々に心に変化を来らすは、自然にあらずして理の順序なり。煩悩と云ふも即ち然り。さればこの摩擦を生ぜしめんざらんがため修養として、魂魄を平行ならしめざるべからず。魂を魄に帰せしむるか、魄を魂に帰せしむるかに依て、この摩擦を避け得らるれど是には問題あり。問題と云ふは他にあらず。魂に帰すれば陽となり、魄に帰せしむれば蔭となる故なり。
例へば汝等が住める地球に於て熱帯を魂(こん)と見るならば、寒帯は魄となるに等し。何れを是とし何れを非とせば可ならんか云へる処に問題を起すなり。我の説く処は即ち是を暖帯にせよと云ふなり。熱帯の人は氷の有難味を知れど、意の儘に求むるを得ず。寒帯の人は綿の暖味を喜べども自由に作ることを得ず。一方に偏すれば斯る一得一失はまぬがれず。温帯の人は此両道を意の儘ならしむる喜悦あるに等しければ、魂魄一如となすには中道をとりて歩む工夫こそ肝要なるべし。

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