未知日記講演集   こだま会日誌  第百十七回   円海大師講演   坂本道博筆記

未知日記講演集   こだま会日誌  第百十七回   円海大師講演   坂本道博筆記


三月二十二日


好むものに心を向け居らば、好むものと同化するもの集り来たりて、
同気相求む。霊気と霊気も然り。
線の結合するは縁の一大事にして新しい道あり。
動物性に落ちるか、霊に同化するか。


我が波長は悪魔にも天使にも合はせる事が出来る。
縁は霊気と霊気とを同化せしむる糊に等し。
引力的な厳戒の辞、圧力的な厳戒の辞。
引力と圧力は身体の中で調節される。
称える場合、一切を忘れる様な風の称え方がよい。
「光明論 被霊光」とは?
波長を合はすと言うは、縁と思へば霊に通ずるを得。
愛は引力  憎しみは圧力
引力圧力を平均させて(一如にする)愛と憎しみもない、信不信もない、もう一つ上の境地になる努力が必要。


三月二十九日


大霊界
正月の如き習慣性行事   行事とは法なり。


テッシン、セイキョウ、ミキョウ、泰岳円海の如く神の栄光に浴したる者にして真の神を知る。汝等衆人は神ありとのみ聞かされて真の神を知るあたはず。知ることを得ざるが故に信ずることも難く、信ぜざるが故に神をおろそかにするは当然にして、決して其を彼是と我等は咎むるものにあらず。まことに不便なるものとのみ思ひ居るなり。汝等衆人の世界は至って智慧うすき者の集合にして、唯以前より伝はり来たりし長き習慣にて生存なし居るにすぎず。まことに怖ろしきものは習慣性にして、大切なるものも亦習慣性なり。
衆人の世界は種々様々の行事ありて、その行事が心を改めしめ、又心を暗くすることの資料に供せられあるによって、今日は正月なりとして其に対する行事を営み、其によって気分を新にする如きは皆其々、習慣性の法の表はれに他ならざるべし。古来よりの行事が年々変化するに従ひて、正月の気分も従って変化しつつある事は、是又いなみ難き事実ならん。幼き頃の正月気分と、年長けて今日の気分とに相違あるも皆、此習慣的行事の現はれなるべし。故に気分を養ふには或程度行事を必要とす。この事柄よりすべてを推し測り見よ。神ありとの思ひを貯へてその方向に向って行事を進むるならば、自づと神の現はれ来ることもあるならんとの考へは起る筈なり。行事とは法なり。法によって信仰の度を深め行かば、望みは叶へらるる道理ありとは思はざるか。彼是れと思ひ惑ひて習慣性とならざる法力を用い居りては、望みは得られずとの考へも従って起る筈なり。

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