未知日記講話集   こだま会日誌  百六回  十一月二十九日  円海貴尊講義講義


こだま会日誌   円海大師講義      十一月二十九日


心と肉体と魂をつなぐこと
心は肉体と魂との中間にある。身・・・・・心・・・・・魂・・・・・心は両方の媒介者。家に居る間、家業に従事する結果、それにとらはれ、心と肉体のみ働かせ、その為魂は部屋の中にいて黙している。之は心が身の方についている。然しいつも魂と連なっていなければならぬ。之が大切。
皆、神に詣り仏参りをする時は身体を整へて拝む。其時は肉体、心、魂の三つが一体となった姿となる。
一日中其姿になれるならよいが仲々出来にくい。之が正しく行う人は千人に一人もない。
他家を訪問する時も三味一体となるが、用事が済み帰宅すると、ああくたびれたと横になる。此の時は魂を押し込めた事になる。
だからいつも魂が離れている。そこで緊張が必要。
緊張、之は三位一体の姿。
日中緊張していなければならない。之が習慣性になる様にする。
之が人間の修養の大切な所。
あなたの心があなたの魂を拝むのです。外の神様を拝むのではない。
いつも円海さんを拝むのではない。自分の魂を拝む。
皆の魂はみなみな個性。外の神様を当てにしてはいけない。
心はいつも肉体に引かれる。之動物性。肉体の方に重きを置かず、魂の方に従うべし。
拝むと言う心が肉体を離れたもの。
朝起きて挨拶するのは自分の魂にする。
皆さんの衣類はいつも清らかか?
(円海師の山での修行のお話あり)
修行者の白衣を用ゆるは、汚れがすぐ見えるから。
皆の修行は魂を拝む。念仏座禅は魂と心が一つになる法。
自分の心から自分の魂を見付ける。いつも拝み度なるような心にしておく。それを習慣的にして置くこと。
自由々々と言うが、皆の考へでは完全な自由は得られない。
其本当の自由を与へてくれる所が何処有るかを考へよ。
それは物質では行かない。人をたよっていても駄目。
自分の魂と心の一致が出来て始めて自由が得られる。

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