未知日記講話集   こだま会日誌  百五回  十一月二十一日  円海貴尊講義

十一月二十一日    
円海大師未知日記こだま会日誌講義


今日は雑談の形式


子供の夜泣きをなほすまじないにいろいろある。
子供にもそれを止めるまじないがあり。
今の科学から言うと滑稽だが之は原因を正すとと何でもない事。
このまじないを発明した人は修養修行の出来た人で、之を無知な人に伝へてやり、之で治ったり治らなかったりして、此の方で治らず別の方法で治ったりして数々のまじないがある。この様な事が数々ある。
すごろくのサイ、之は昔はお守りだった。之を守り袋に入れて子供の首にかけて(怪我過ちのない様に)居たもの。之が六曜星のみと。
之を投げて見て、一が出たから大安、二だから何々だ、友引き等とうらなった。
即ち占いまじないの具だった。之が盛んにはやって暦に書かれる様になった。即ち六曜星のもとを正せばサイだった。
一の裏六、二の裏五、三の裏四、総数が皆七になる。
星と言うのは目分量の事で、天の星にあらず。
これがどうして盛んになり、人の心を左右したか。
年月を経ると人間には変り目がある。之を節季時(フシ)、之を祝う。
十六歳二十五歳、三十四歳、四十三歳、五十二歳、六十一歳(サイの裏表)
この六回を大きな厄と言う。六十一で暦が一回転する。六に結び付けて厄。
一四七  二五八  三六九の節々に・・・・。之は何の為に行はれ、何の効があるか。これは所謂暗示作用。このわづかな暗示がこたえる。之は肉体にはこたえないが(純潔なものはたましひ)このたましひに暗示を受けた心の響きが伝はり、之が反射して来て心にかへり、之が反射して肉体に来て肉体を左右する。之が催眠術、巧妙な暗示の言葉を与えて心からたましひに伝へればよい。
心から魂にぶつかると之が反射して心にかへる。之が大きく働く。これがこだま。
(こだま会の名前の由来)

人間には之を防御する為に、暗示にかからぬ為に反射作用あり。
この反射作用が微妙な働きをする。
肉体と心ばかりを働かせて居るから迷信が多い。この迷信を払い落とさねばたましいの反射作用が正しくならない。罪をこしらへてその罪の為に苦しむ、之が反射作用。
日々の雑用にとらはれて、
たましひの反射作用をおろそかにする。
幻惑されてとりこになれば、暗示が自由に通る。
仕事にかまけて居る間に、たましひをおろそかにする。
仕事するに、その仕事をたましひにぶっつけて、それから反射したものとして仕事をする事。忙しい間にたましひをわすれぬ様にする。反射作用を正しい方向に向ける。
天界とは界を転じる、転界。
人間の極楽は皆、心次第。その心とたましひのつながりが切れてはいけない。
たましひと肉体をつないで居るのが心。
太陽と地球と、地球と空間・・・・ 天地人と言う。
                 アミダ


これを有り難らしく言うは、暗示を深刻にして腹の底までたましひの底まで杭(くい)入れて、心とたましひと肉体を繋ごうとするのである。これは宗教者のつとめ。
我々はたましひと肉体を繋ぐ心を正しい方へ向ける事を言う。
サイは年(才)の事。十六歳、一の裏六、六十一歳は厄年と言う。
サイを振ってうらなうは自己暗示。
肉体の中にあるたましひが主人公。
慈音の肉眼を代用するものが肉体の中にある。それを利用して皆の心を見る。
皆は肉体ばかり囚はれて居るから見えも聞こえもしない。
皆にはこの組織あり。この組織は誰に与えられたかを考へて、その方に足を向けて居れば自然に修行は出来て行く。
たましひと心と肉体の三つを生かす事につとめる。之を三密具足と言う。

×

非ログインユーザーとして返信する