未知日記講話集   こだま会日誌  百四回  十一月八日  円海貴尊講義講義

十一月十六日
こだま会日誌  百四回  十一月八日  円海貴尊講義


昔の道歌に゛極楽は北にも非ず東にも西にも非ずみんなみにあり゛
一休は極楽はいずこにありと尋ぬればこらへにこらへしふんの出所。
蜷川新左エ門が一休に、地獄極楽はキットあるか、と尋ねた所、キットあるかと言へばない。又キットないかと言へばあると答へたので、蜷川が一休は不明な為返事に困ってそんな事を言うと言ったので、一休が、今のお前が地獄だと言ったので一休がお前はそれ位のことがわからぬかと言って錫杖でなぐったので大いに腹を立てた、その顔を見て一休が、今のお前が地獄だと言ったのではっと気がついた所で顔付が変わったのを見て、今の顔が極楽だと言った。
現在世界が地獄極楽の瀬戸際に置かれて居る。故に皆人間の心持が変って居る。
戦争中の食物は、その時分は有り難かったが、今は食べられない。又どんなうまいものでも飽きるが米の飯はあきない。何十年食べてもこれはその人の身体に適当した食物。天から自然から与へられた食物だからである。之は習慣だけではない。之は体質に応じたもの。こんな所にさとる所があるはづである。


鶯に目白のエサをやると死ぬ。又目白に鶯のエサをやっても死ぬ。
身に即した、自然から恵まれた取って居ると病気しないし、又しても軽くて苦しまない。大自然が生み出してもらった肉体のそなはりが分相応にして暮らして居ると間違いない。之は日本人がおっちょこちょいで、人真似が好きで又上手故、日本の生活を営んで居れば保てるものを、いろいろな真似をするから今に本当の古来の日本人は居なくなる。今に日本人は皆雑種になってしまう。
之ではじめて日本が亡びてしまった事になる。之は日本を段々にほろぼして行く姿である。
先日、身体の中に医者が居ると言った。之は雑種にならぬ為に話した。
日本人には日本の医者があり、又それを監督して居るものがある。
之を迷信にせず、枝葉にわたらぬ様に気を付ける事。
無機物が有機物を生み出してくる。
有機物はこの頃見付けて来たが、無機物は限度ないからわからない。
之には顕微鏡が出来ても肉眼には見えない。
極楽みんな身にあり。すべてのそなはりを神はつくってくれてある。
人種の異りもつくられ、種によって食物を与へて育てている。
之等は皆天界にそれぞれの分野で役立てられる。
皆は一人一人に体質が違うから、個々に宿って居る医者でないとよく知らない。だから甲には
甲の、乙には乙の医者にまかせねばならなぬ。之が宗教者の言う医者とは違う。
加持祈祷まじない等は一人一人について効き方が違う。印とはしるし。
この願いにはこの印、あの願いにはあの印、と異なる。
肺を守る神、心臓を守る神。仏。すべてのものにその神あり。医者あり。
自分の中の医者が及ばぬ時は、外に医者を求める。
皆は食って助かり、食って生きる。外で出来た米を食って、中の医者がそれぞれに分配して育てる。
肉体の医者でなほらぬ時は外の薬を飲まねばならぬ。
方々に配置してある医者の監督者はどこにある。
五体各部の専門医を監督する院長あり。之はどこに居る。
之を見付ければ苦しまなくてもよい。之を見付ける事が出来ないから苦しむ。
院長を見付けて手術も診察もしてもらへば重い病気も軽くて済む。
若い時(円海師)、朝から晩まで神経痛で苦しんで居る人の所へ祈祷に行った事があった。
その痛いと言って居る所を数珠でなづったらなほったが、又翌る日呼びに来てなづっるとなほして三年通った。然し他の人が行ってもたいていなほらない。私が行くとなほった。
然しその人は自分で自分の医者を見付けて自分でなほってしまった。
今は一時的におさへる薬があるが、根治する薬はない。
自分の身体に医者があるのだ。その医者にまかせればよいと考へてその院長を探してください。之は秘法でくはしくは言へない。
だから八百万の神と言い、八万四千の・・・と言う。
之は肉体各部の医者を言う。
之等は皆方便。
゛かれこれ思いまどう迷゛
仏   法   僧


ところがアミダをつくったものは何かと言へばわからない。之を悟らねばならぬ。
宇宙は始めなく終りないだから、ここに生まれたものは始めなく終りない事に目覚める事。
肉体細胞でも一個々々の働きを持って居る。
肉体にすべて教育者も科学者も皆ある。之に目をつけること。
人を好き嫌いしない様に。誰にでも合様に、愛の力を大きくして自他一如、神と一如となれ。

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