未知日記講話集   こだま会日誌  百二回  五月三十一日  泰岳貴尊講義講義

泰岳貴尊講義
円海が私の言いたい事を話したから、その続きを話す。
人間で一番大事は生死。
このあきらめさえついたら人間は本当の人間になる。

ところが皆は生きる苦しみは知って居るが、死ぬと言う箏はまり問題でない。
皆の生きると言うは肉体を生かして置く事を言う。
吾々の生きると言うはちがう。
吾々はたましひの生きることを言う。
生活と言へば、皆のはからだ本位。そして金銀財宝を得ようとする。
皆の一生は肉体一代ばて(?)。之等は迷う。
天界の様を見れば皆の様な生活はして居られない。
之は慈愛の心から大自然が見せてくれない。
人間はいつ死ぬとわかったら、その時慌てる。
之を知らしてくれないのが仏の慈悲だと言う
修養修行の出来た人はいつ死ぬとはっきりわかる。
之がわからないから一寸先は暗。
肉体さえ苦しまねばいつ死んでもよいと言う。之はあきらめにあらず。
病気して苦しむのは生死がおそろしいからである。
苦しみさえ助けてくれれば死んでも生きてもかまわぬと誰でも言う。
無常観を語るにあらず。肉体のために生死を考へる。
本当にあきらめた人は、たましひの生死を言う。
たましひは生から生へ持続する。心は消える。
死なないたましひを生死のある肉体に宿して居るだけ。
肉体を離れたらそのたましひは行くべき所あり。
生死のあきらめとは肉体のあきらめを言うのではない。
侠客は一度死んだら二度とは死なない等と言っていのちを粗末にする。
然し彼等程恐怖心の強いものはない。
たましひの生死をあきらめたらそこで本当の悔い改めが出来る。
肉体の、心の悔い改めとは違う。
大悪、大善となるはたましひ。
心の悔い改めは肉体に表はれる。
たましひの悔い改めをした人は肉体は問題ではない。
私の罪を許してくださいと言うは心の肉体の悔い改め。
之は本当の悔い改めにならぬ。
本当の悔い改めはたましひからの悔い改めでなくてはならぬ。
肉体に重点を置いて居るようだが、いくら金をためて置いても肉体をなくしたら何の効もない。
冥途・・・パラダイスに持ってゆけるものを貯える事。
之が本当のあきらめ。
質問(坂本)
気と光について
゛気波は 冷  寒気するは気波
゛光波は 熱  
霊光は寒熱一体するから、光波又は気波に見る事あり。
熱を伴う気波は光波。熱を伴はない時は気波。
無の音が大事。之を言葉で言ふと、感じと言う事になる。
熱感 冷感
有の感じ、無の感じが音楽。
之はむつかしい。無の感じ。
曲の中に潜在して居る何ものかの感じ。
同じ曲を聞いて各人が感じが違うかも知れぬ。
演奏者の気分の良い時、悪い時に又違う。
之は気波と光波の関係。
見える光はどちらかと言へば光波に属する。


肉体のあきらめを先にする事。
肉体はいつ死んでもかまわぬと言うあきらめをなす。
本当の心の底からあきらめる事。
余儀ないあきらめは駄目。
刃物を持って誰かが向かってきたら、にっこり笑って向かへるだけの覚悟があるか。
慈音は眼くらめっぽうに逃げると言って居るが。
慈音の逃げるのと皆の逃げるのとは違う。
それが分かる様になってください。
慈音は犬死はいやだと言うのである。皆は恐怖で逃げる。

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