感応論  第一巻  平心の巻  宇宙と自然  テツシン貴尊講義

2020.11.24


無辺と有辺


例えばここに一本の紐ありて人工を加へざるに、紐と紐とは相互より寄りおひて互に結ばるる事あらば、汝等は是を見て、自然に紐が結ばれたりと云ひて是を自然に帰せしむるならん。然れどももし眼に見えざる人が結びし紐ならば、汝等は是を自然とは言はざるべし。又人に電動力を用いて結ばせしと知るも同様ならん。然りとせば汝等の云ふ自然とは、汝等が無智を表現する代名詞に他ならず。我の云ふ処はここなり。理を究め事実をたしかめて後判明せざることは、是自然にあらずしてそは不自然なり。人に何等の種仕掛けなくて結ばるるは是自然にあらずして不自然となるなり。否不自然と云ふにあらずして、不法則にして斯ることは神の造り給はざる処なり。故に自然とは即ち神の造り給ひし根原を措いて、他には自然と云ふことなしと我は説くなり。
 故に無辺は自然にして、有辺は既に自然の現はれなるを以て、自然にあらざる事を理解したるならん。故に有辺は何日かは無辺に返る理論あり。是は自然なるかと云ふに、我は当然にして唯自然に返るとのみ答ふるのみ。是は順序にして経路なり。学理よりも解釈され、又言葉によりて説明することを得べければなり。
 無辺は無限にして有辺は有限にして、更に是を追求すれば有辺有限は悉く無辺に帰すと云ふ結果となる。汝等は此理を会得せしか。然らざるべし。何となれば汝等は無辺と無限との区別を明白にせざるに依りて同視する傾向あればなり。我の説く処の辺、及び限とは汝等が幾何学に学びたる辺及び限にはあらざればなり。我の語る辺とは涯なきの意、限りとは限の意に解し聞くべし。涯なく限りなきを無辺無限と思いて感受せよ。所謂涯とは茫漠にして、限りとは何かそこにあると云へる意味を云ふにて異るなり。
 たとえば白色と云ひても月と雪との色に相違あるが如し。我、敢て斯る言葉を用ゆるは汝等が日常使用する俗語を成可く多く用いて、其言葉を道のため活さんと思へば其にて我は満足なり。
そは別として限と辺とは斯る区別ありと思いて聞くべし。さて是を四線の法則より観察すれば限は破壊にして、辺は組織に属するなり。

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