2020.11.26 感応論 第一の巻 テツシン貴尊講義 感応の大要 五手の法について ミキョウは是を汝等に教へたり。即ち肉体の刺激によりて心の動揺を感ずるを防がん為に、呼吸と脈を整へてその刺激を防止せんが為の方法を教へたるなり。又合掌低頭するは混濁せる心を沈静する方法にして願ひごとをな... 続きをみる
覚者慈音 伊東慈音著 行ずるものの心得の人気ブログ記事
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2020.11.25 感応論 第一の巻 テツシン貴尊講義 感応の大要 姿を水に映して我と我相対す。汝、彼にあらずして即ち汝なり。汝の声は山にあたりて汝の耳に返る。是又誰の声にあらずして汝の声なり。即ち汝を出で汝に返る。是感応の原理と云ふなり。若し水なくんば汝の姿もなく、山なくんば声も亦無... 続きをみる
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2020.11.25 汝等は自然より生れたれば自然に帰るなり。自然は神なりとすれば神に帰る。即ち神の家に帰るにてはあらざるか。肉体は自然の働きより生じたる機械なり。器具なり。ミキョウが云ひし稲なり。藁なり。穂なり。籾なりと思はばこと足る。是を宇宙と考ふれば、汝等が魂は太陽にして、肉体のすべては... 続きをみる
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光(こう)と気体との関係 其二 熱と冷によりて一切は組織せられ、又破壊さるるとならば、肉体の組織破壊の理も亦自ずと知ることを得たるならん。然らば是等すべては自然にあらずして順序なりと云へる事も亦覚るに至りたるならん。汝等はよく自然を克服したりとか、征服したりとかの言を弄すれども、そは順序を知り得... 続きをみる
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2020.11.24 無辺と有辺 例えばここに一本の紐ありて人工を加へざるに、紐と紐とは相互より寄りおひて互に結ばるる事あらば、汝等は是を見て、自然に紐が結ばれたりと云ひて是を自然に帰せしむるならん。然れどももし眼に見えざる人が結びし紐ならば、汝等は是を自然とは言はざるべし。又人に電動力を用いて結... 続きをみる
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2020.11.23 我、斯く説き来らば汝等は科学論にても語るかと思ふならんも然にはあらず。汝等に科学せよと勧むるにもあらず。我の望む処は汝等をして真の人間の有様より、進んでは人界を越えたる次の座に座らしめんと思いてなり。故に先づ自然の道理を明らかならしめて、自然の姿に導き返さざるべからず。 ... 続きをみる
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伊東慈音師肖像 2020.11.22 我、先に行法に於て汝等が為に聊か講話を試みて、修行の一歩を進めしに、又もミキョウの求めに応じて、此講にあたらん事を諾せり。我、念力集に言葉を添えたれども、そは唯一言にすぎざりし。然るに汝等の心に充分に満足を得せしむるには、斯る軽句にては心の修養全か... 続きをみる
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未知日記講演集 こだま会日誌最終講義 第百十八回 円海大師講演 坂本道博筆記
未知日記講話集 こだま会日誌 最終講義 円海大師講義 筆記坂本通博 四月十一日 念力と暗示 言葉なくして喜怒哀楽、好悪等の話をすることが出来る。 之を大きく拡大して深く突込んで考えてみること。 自分がどう言う暗示に左右されるかと言う事が最後の問題。 念力は魂を霊化させる一つの方法... 続きをみる
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未知日記講演集 こだま会日誌 第百十八回 円海大師講演 坂本道博筆記
未知日記講演集 こだま会日誌 第百十七回 円海大師講演 坂本道博筆記 肉体の姿勢だけでも習慣にして積み重ねて行けば助けになる。 こだま会で厳戒の辞を称うる時の姿勢をいつもとる様にする。 統一された形になり得る、整備された肉体(体力)(伊東慈音先生の如き健全な肉体)。 常に張り切った心... 続きをみる
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未知日記講演集 こだま会日誌 第百十七回 円海大師講演 坂本道博筆記
未知日記講演集 こだま会日誌 第百十七回 円海大師講演 坂本道博筆記 三月二十二日 好むものに心を向け居らば、好むものと同化するもの集り来たりて、 同気相求む。霊気と霊気も然り。 線の結合するは縁の一大事にして新しい道あり。 動物性に落ちるか、霊に同化するか。 我が波長は悪魔にも天使... 続きをみる
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未知日記講演集 こだま会日誌 第百十七回 円海大師講演 坂本道博筆記
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未知日記講演集 こだま会日誌 第百十六回 円海大師講演 坂本道博筆記
未知日記講話集 こだま会日誌 第百十六回 円海大師講義 坂本通博筆記 三月十四日 己に姿あり、神に姿なければ一体化ならずと考うれば、己を霊気にかへよ。然せば一体化すべし。霊気、気体となりて一体化せよ。 真(信)とは自己に有する霊(たましい)のあらはれ。真(信)不真(不信)の双葉の種は... 続きをみる
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未知日記講演集 こだま会日誌 第百十五回 円海大師講演 坂本道博筆記
未知日記講演集 こだま会日誌 第百十五回 円海大師講演 坂本道博筆記 三月七日 活動霊子 圧力 融和性と分離性となる。之は働かせ次第で反対ともなる。 補助霊子 引力 々 々 々 之が一体化した力にならねばならぬ。 働く力を信仰によって部分的に働くものを一体化す... 続きをみる
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未知日記講話集 こだま会日誌 百七回 十二月六日 円海貴尊講義 円海大師の出家の経緯
未知日記講演集 こだま会日誌 円海大師講演 坂本道博筆記 前編 参照 生前日本に生きて居られた、大師の過去を知りたければ、でGoogleで探してみてください。(円海大師の修行時代、又は覚者慈音 38の水滴の行法)未知日記本編では因果論やテツシン講録、光明論など多数を著して居られます。 ... 続きをみる
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未知日記講話集 こだま会日誌 百五回 十一月二十一日 円海貴尊講義
十一月二十一日 円海大師未知日記こだま会日誌講義 今日は雑談の形式 子供の夜泣きをなほすまじないにいろいろある。 子供にもそれを止めるまじないがあり。 今の科学から言うと滑稽だが之は原因を正すとと何でもない事。 このまじないを発明した人は修養修行の出来た人で、之を無知な人に伝へてやり、之で... 続きをみる
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未知日記講話集 こだま会日誌 百二回 十一月一日 泰岳貴尊講義講義
未知日記講話集 こだま会日誌 百三回 十一月一日 円海貴尊講義 五月末日以来始めてこだま会集る。 今日から私も完成したから遠慮なくはつきり断言して物を言う。 今迄は教主様におさへられて断言出来なかった。 之からは不明確ないい加減な事は話さない。 二心を排して言行を一つにする様、心と言葉と... 続きをみる
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未知日記講話集 こだま会日誌 百二回 五月三十一日 泰岳貴尊講義講義
泰岳貴尊講義 円海が私の言いたい事を話したから、その続きを話す。 人間で一番大事は生死。 このあきらめさえついたら人間は本当の人間になる。 ところが皆は生きる苦しみは知って居るが、死ぬと言う箏はまり問題でない。 皆の生きると言うは肉体を生かして置く事を言う。 吾々の生きると言うはちがう。 吾々はた... 続きをみる
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未知日記講話集 こだま会日誌 百回 五月二十五日 円海大師講義
五月二十五日 円海大師講義 お菊ばあさんの様に・・・・ 憎しみや可愛さの伴はない愛。 求めよさらば与へられんは本当の愛。 本当に合ふ。 愛する者の為にすべてを与へてくれる。 願へば何でも下さるものだとの意味と違う。 大愛に従へば之も必ず与へられる。 心ばかりの願いをするからいけな... 続きをみる
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こだま会日記 隠すより表るる 円海大師講話 坂本通博筆記 昔のよく言ふ言葉に、隠すより顕はるると言ふのがある。 隠そうとするから表はれる。 心にわだかまりなければ隠す事なし。 皆の家庭には隠さねばならぬ事が多すぎる。 開け放し... 続きをみる
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泰岳貴尊講義 第九十七回 こだま会日記 慈音は今日も具合が悪いから休みたいと言ったのを、円海がいけないと休ませず話をしているわけ。 今日は直接ためになる話をする。 二、三日前に飛行機が墜落して全員が死んだ。之を聞いて皆はうわさをしている。わずか四十足らずの人間が死んでそれが地名... 続きをみる
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二月二日の続き 何を覚えたい、何を覚えたい等、それは心の働き。之ではたましひは眠ってしまう。 たましひを眠らせない様に働かさせねば人間の道はわからない。(心丈では) たましひを使っていない、心ばかりの修養をしている。心で聞いて居るから皆忘れてしまう。それにはどうしたらよいか。仕方がないから沈思黙考... 続きをみる
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未知日記講話集 こだま会講演日記 第三十四回 坂本通博 筆記
七月八日 松尾舜策氏 没後百五十日目 拝むは煩悩をたちきる方法。 きづな切れる。煩悩のおきた時おがめば(念仏せば)それを止める事が出来る。 此の時その一つの煩悩のきづなが断たれる。即ち一つ洗はれる。 そして此の事が度にたましひが光って来ると、いつかは魂を見付ける事が出来る。 良心に対して拝む。悔... 続きをみる
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八月二〇日 気に掛かると言ふ事は一つは魂が働いた時、又心が働いての時、さらに今一つ肉体から心に及ぼした時の三種あり。最初の魂が働いた時は直ちに氷解する。 気に掛かって迷ふは心と肉体の関係が多い。 原因に気が付いて処置すれば之はなほる。 たましひに気に掛かって解決つかぬのは一番むづかしい。 たましひ... 続きをみる
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八月六日 たましひと心と肉体 たましひと心の関係 心頭(心燈)を滅却すれば火も亦すずし。 人間の心のともしびが消えてしまえば火も亦すずし。 これは出来ることに相違ないからこんな言葉ができたのかも知れぬ。 今の人はここまでの信仰がない。 信仰を先に学理をすべし。 天草の乱の頃のキリシタンのような信仰... 続きをみる
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七月二十三日 信仰者の中には多くは神又は仏を自分で評価して信仰に入って居る者多し。何によって評価するや。伏鼠信仰、彼方の神はきく等の信仰(あちらかじりこちらかじり) 之は肉体から起こる信仰。これは信仰にならず。 驚愕信仰(おどろかす、びっくりさせる)山獄信仰にも(驚愕法) 人間は潜在意識の中にある... 続きをみる
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五月十四 日 平常心是道也 油断・・・・・・ 信仰なき故出来る 人はそれぞれ大事なもの、 「神にかへる卵」をもっている。 人間は自分からさとって、是が悪かったとさとってはじめて悔ひ改めが出来る。 注意されてもあきらめられない。(他から・・・・・・宝)他から注入されたものは力がない。之... 続きをみる
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二月五日 法力の基礎は霊の作用による。 霊から魂魄→心意と上昇して始めて現はれる。 原因を知って明らむれば法力は簡単。 人間は悟らぬから易が必要。迷をとくは易。易を知って迷う人はおかしい。悟れば易は不必要。 物には順序があってそれを中途から考えるからわからなくなる。 人間には命数定まる。然し肉体に... 続きをみる
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たとえ老師が貴尊方の返答を得て告げ知らせたとしても、受け止める人々の力不足智慧の多少によって運用をあやまり、早合点早飲み込みから間違いの生ずることは避け難かったのである。然しその責任は老師以外のところには行かないのだ。「先生がああ仰ったから」と云った。人と云うものの如何に自己反省の力が弱いかを、... 続きをみる
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教主は特に 「彼(泰岳大師)は慈音を愛し、こだま会には欠かさず慈音に至りて、無言詞を送りて指導なし居れど、姿を現はすにあらねば会員の人達は別段意中に止め居らざれど、会員にあたえ居る無言詞の力は実に尊し」と未知日記に記録せしめられて居るのである。 泰岳大師は会に臨まれても、言葉を発せられることは... 続きをみる
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遠き先祖の時代から日本人は心意霊の区別は教えられて居た。然し外国から種々様々な宗教思想が這入って来るにつれ、いっしか固有の無二の宝を失ってしまって居た。肉体的本位の生活は、真の文化を失わせて居たのである。貴尊方が戦争に負けて打ちのめされて居る日本人を如何にあはれに思召されかは、光明論二三巻を読ま... 続きをみる
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秋も深まり小春日の初冬の一日、会が終って同じ方角に帰る者のみ連れ立って、戦火に焼かれてまだ取りかたづけも充分でない屋敷街を歩いて居た。途中乗り換えて電車で帰るよりも三角の一辺を歩いた方が時間の短縮となって居た。その時A夫人が思いあまった風で切り出した。 「何だか、伊東先生は私にばかりあてつけて... 続きをみる
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円海大師が来られて講話中の慈音老師の態度は、平常といささかも変化はなかった。唯自然に声音、その抑揚に、顔や身体つきにそこはかとない変化が見られて円海大師の幻影を髣髴看取させるものがあったが、私のように平常老師に接して居る者にして看取出来ることで、他の人々には無理であったかと思ふ。何故なら来会者は... 続きをみる
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人の精神構造は右の如く立体的には心魂霊の三層三段階に構成されて居り、陰陽の関係から心は心意の二個、魂(たましい)は魂魄の二個として此の四つに霊が加はり、此五つの要素には其々機能特質があるから、此五つを常に一丸に組み合わせ使用するようになれば、一寸先の暗は消滅して常に明となる。是が人として成長し... 続きをみる
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結局誰でも気易く集って呉れる人達に集まって貰うと云ふことになったが、如何に誘ひの言葉を発すべきかについては私にも見当がついて居なかった。私は老師の背後につき従って修行しょうとの決心は発すべきかについては私にも見当がついて居なかった。私は老師の背後につき従って修行しようとの決心はついて居たが、... 続きをみる
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円海大師の慈悲 こだま会 衛藤欣情 敗戦の結果外国の占領下にあって日本国民は明日の米麦に事欠く昭和二十一年の秋であった。日本国民の受けた心の痛手はまだ血をふいて居て、将来の見通... 続きをみる
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文化祭にて 庭にて 親の欠点を探せば、人間だから際限がない。それよりも数少ない美点を挙げてみよう。先ず、美点その一、父は若い頃から絵を描くのが好きで、よく描いていた。六十歳頃に作風が一変し、墨絵に没入した。七十歳頃迄次から次へと墨絵を描いて、市の文化祭になどに出品していた。京都の方にも出して... 続きをみる
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覚者慈音567 三世と四世論 善行と悪行について セイキョウ貴尊講義
三世と四世論 未知日記第八巻 第四の巻 来世の巻 其の118 三 善行と悪行 ... 続きをみる
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覚者慈音492 三世と四世論 重魂と混同し易き事柄について インショウ、ミキョウ貴尊講義
三世と四世論 未知日記第八巻 第二の巻 現在の巻 其の46 第三十七 重魂と混同し易き事柄について その三 ... 続きをみる
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覚者慈音270 未知日記講義第一二巻 大霊界 ギョウの門 教主寛大講義
未知日記講義第一二巻 大霊界 巻の五 NO217 大霊界入門記 後編 第五、ギョウ 実地門 (仮称) 一名就業門 (仮称) とも云ふ ... 続きをみる
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覚者慈音210 未知日記講義第一二巻 大霊界 絶対とは如何なるものか 教主寛大講義
未知日記講義第一二巻 大霊界 巻の四 NO162 絶対とは如何なるものか その5 教主寛大 講述 我等は常に語り居... 続きをみる
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未知日記講義第一二巻 大霊界 巻の三 NO109 疑ひは信仰の門 その2 教主寛大 講述 すべては信仰な... 続きをみる
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覚者慈音141 未知日記講義第一二巻 大霊界 空の信仰、虚の信仰 その2 教主寛大講義
未知日記講義第一二巻 大霊界 巻の三 NO97 空の信仰、虚の信仰 その2 ... 続きをみる
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覚者慈音118 未知日記講義第一二巻 大霊界 巻の弐 NO74 未来観 その五 教主寛大 講述 もとより我の語りたる、禅は善... 続きをみる
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覚者慈音117 一粒の麦もし地に落ちて死なずば、唯一つにてあらん。もし死なば多くの実を結ぶべし
僕はクリスチャンではないけれど、イエスの次の言葉が好きだ。 「我、誠に誠に汝等に告げん、一粒の麦もし地に落ちて死なずば、唯一つにてあらん。もし死なば多くの実を結ぶべし」 この言葉はドストエフスキ-の小説であるカラマゾフ兄弟の冒頭に掲載されている。 ある文学者はこの小説を人類の精神的所産のなかで... 続きをみる
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覚者慈音116 未知日記講義第一二巻 大霊界 未来観その五 教主寛大講義
未知日記講義第一二巻 大霊界 巻の弐 NO73 未来観 その五 教主寛大 講述 汝等諸子はこの例話によって、不滅の霊とは如何な... 続きをみる
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母が亡くなって明日で丁度1ヶ月になる。僕の寝床の横には母の遺影がいまも飾ってある。朝、眼が醒めればそれに向かって「おはよう」と云い、眠る時には「お休み」と語りかける。今頃母はどうしているかな。道に迷ったら貴尊方に連れていってもらえるといいなあ。どうか貴尊方、宜しく母のお導きをお願いいたします。 ... 続きをみる
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覚者慈音63 未知日記講義第一二巻 大霊界 巻の壱 如意界を離れて何処に行くか 教主寛大講義
未知日記講義第一二巻 大霊界 巻の壱 NO 23 如意界をはなれて何処に行くか その1 教主寛大 講述 我... 続きをみる
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覚者慈音49 大霊界 天界の人 慈音は現在地上に姿を有して呼吸し居れど、実は最早天界の一人として引き上げられ居る 教主寛大講義
未知日記講義第一二巻 大霊界 現在の宗教者すべて肉体本意の教へをなし居る故・・・ 巻の壱 天界の人 教主寛大講義 円海は仏教の門より歩を進め居りたるため、こ... 続きをみる
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覚者慈音27 未知日記講義第一巻 ミキョウ貴尊講述 現在のセイキョウ貴尊講義
未知日記講義第一巻 ミキョウ貴尊講述 我、汝等を誘導して共に手を携へ以て正道を進まんとす。 されば特に心を用いて神語を口訳して、汝等が日常使用せる 言々句々を撰び、肉眼にもあれ、又は肉耳にもあれ、容易に悟り 得る文章を使用せり。また此の書は我修得して究めたる事実なれば疑義をさしはさむ事な... 続きをみる
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覚者慈音25 大霊界 真の拝みとは 我等が説を聞きても疑ふ者は終生信ずる力を養ふこと難からん 教主寛大講議
教主講義 大霊界 如意界の教えに従ひてこの界のすべてを修め尽くして行終らば、其の後は各所に配属してそのところにて、又新しき任務に順ずるなり。斯くも深淵なる天界の様を、慈音は錯覚作用によって己自ら考えし空想を認めありと思ふや。もし慈音が斯かることを空想して記したりとせば、慈音は偉大な学者ならず... 続きをみる
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覚者慈音8 幽霊画家 未知日記1巻 ミキョウ貴尊(現セイキョウ貴尊講述)
幽霊画家 「さる所に一人の画工行脚の旅に出で、途中山津波にて死したれば、其の村人より彼が妻に知らせたり。妻は彼を懇ろに弔いありけるが、彼旅立ちたる時、我三年後に帰るべしとの約を守りけん。三年後妻のもとに立ちかへりたれば、妻は驚きて、 「汝は山津波にて死したるにはあらざるか」と問ふ。彼曰く「否死せし... 続きをみる