未知日記講話集   こだま会講演日誌    第四回   衛藤欣情

 円海大師が来られて講話中の慈音老師の態度は、平常といささかも変化はなかった。唯自然に声音、その抑揚に、顔や身体つきにそこはかとない変化が見られて円海大師の幻影を髣髴看取させるものがあったが、私のように平常老師に接して居る者にして看取出来ることで、他の人々には無理であったかと思ふ。何故なら来会者はすべて老師が講話して居ると考へて居たし、円海大師が来臨されて居るのだと云っても何人の人が身に沁みて、心に滲みて聞いて居るのか私には皆上の空で聞き洩らし聞きながして居るように見えたのである。重大にも意味深いようにも取って居ないように見えて居た。
 又老師の身近に居た私には老師の脈搏の早さに気がついた。血管がもり上っていた。そして講話のあとはひどく疲労を見せたのである。是は肉体組織の相違から起る原因であらふと私は考へた。
 貴尊は
 「我は宗教者にあらねば善事を行ひ、悪事を捨て世を害することなく、一生を全うせよと云ふ如き教へはなさざるなり」とか、或は
 「神を信ずるとかのみにては、其はさとりあらず。知るにすぎざるなり。知りたりとて悟らずば何の価値もなからん。知りて悟る底の信仰者にあらざば何の甲斐もなし」
 「我等汝等衆人に対して唯推理力より教へをなすにあらず。其真相を語りて教へ居ることに気附くならん。宗教者の教示は方便なるが故に、種々様々の方面より悪事を犯させざるよう導きをなすにすぎず。されど我等は宗教者にあらざれば善悪の区別は兎に角真実を語りて汝等衆人の手引きとなさんが為に参考として語り居る迄なり」と、貴尊は世人を導く真意をくりかへしくりかへし強調された。
 何日の間にか秋風が吹き、こだま会に集る人々の数も、発足当時の何倍かにふくれ上がって居た。中には会費を集めて何等かの団結を計ってはと忠告してくれる人も居た。然し老師は聞き流した。金銭にはいろいろ情実が重なるからイヤだと云われた。
 「是だけのお話をこの位の人数で聞くのは勿体ない。宣伝と云っては何だけれど、少し人あつめの法を考へて見ては如何でせう。先生にお話してみては」と私に注意して呉れる人も居た。然し私にはまだ半信半疑のところがあった。今来て居る人達のうち幾人がものになって残るかと云ふ事であった。利生を説かず魂の浄化のみを説く貴尊の真意に徹する日は何日か。或時私はその事を口に出して見た。
 「さあ、何時まで続くかな、誰も来なくなる日が来るかもしれない」と、老師はにこにこけろりとして居た。
 「では、会は今迄のままでいいでせうね」
 「いいも、わるいもない」
 「強いて人を集めることもないでせう?」
 「そう云ふことになるな」と、老師の返答は常に無慾にすぎた。  

×

非ログインユーザーとして返信する