未知日記講話集   こだま会講演日誌    第五回   衛藤欣情

 秋も深まり小春日の初冬の一日、会が終って同じ方角に帰る者のみ連れ立って、戦火に焼かれてまだ取りかたづけも充分でない屋敷街を歩いて居た。途中乗り換えて電車で帰るよりも三角の一辺を歩いた方が時間の短縮となって居た。その時A夫人が思いあまった風で切り出した。
 「何だか、伊東先生は私にばかりあてつけて物を入って仰るみたい。此頃イヤになりましたわ」と真実こめて云ひ出した。
 「御冗談てせう。其は私の事ですわ。お恥ずかしくて今迄口には出しかねたけれど、全くつらいことがありますわ」と、B夫人が応じた。
 斯うなると今迄控え目だった婦人達が、其々の思ひを抱いて居ることが分かった。私は深い興味を以て婦人達の告白を聞いた。貴尊は一度だって人を責める如き、非難する如き言辞を口に上せられたことはなかった。宗教者ではないと屡々ことはられた貴尊は宗教的説教ぢみたお話をなさることもなかった。にもかかわらず男子の中にすら夫人達と同意見の言葉を洩らす人も居たのである。然も斯うした人心の動揺は会を重ねるにつれて著しくなった。
何かひどく心を傷けられたかのように、はげしい反発をみせて姿を消した一二の夫人に続いて、会を遠ざかって来なくなった男子も居た。
 「先生、一体是は如何云ふことですか」
 私は訊かずに居られなかった。
 「うむ、うむ」と老師は口ごもるだけで説明はして呉れなかった。私も強いて問つめることはしなかった。何れ分る日が来ると、肚の中でタカをくくって居たのである。
 「円海が常にこだま会に於て語り居る講義に於てすら、皆各自聴収者に異なりたる感銘をあたえ居るにて、語る言葉一なれど感ぜしむる相違は、聴く者をして一種の感じを与え居ることは、是即ち法力を用い居るに依てなり」と、即ち円海大師は一人一人の心に語らず、各自の魂に語って居られたのである。
 「積極的方法は従来の方法とは異なりいささか苦痛を伴ふべけれど、屈せず撓まず修行せば必ず成就疑いなきことを保証すべし。常識に富みたる人ならば消極的修養に依って安全に苦まずして大悟徹底するを得れど、現今の日本人の如く糸の切れたる凧の如き姿なる人間にありては、積極的方法に依って此糸を結び止めて飛散せしめざるよう喰ひ止めすば再起すること難かるべし」と未知日記」には記録せしめられて居たのである。良師の良薬故利き過ぎて腹痛や下痢を起こす心配はなかった筈であったが、刺激は弱くはなかったのである。
 教主は
 「こだま会の会員こそ仕合はせ者なり。円海は(心魂和合)を以て導き、泰岳は無言詞(誘魂法)にて導く。世の中に種々様々の宗教あれど、こだま会程大なる力もて育てられ居る会は類稀なるべし。其は余りに他の宗教とかけはなれたる組織なるが故に、会員は是を軽く見る傾向あるは実にあさはかなる者共なりと云ふの他なからん。
 慈音にして一般宗教者の如き振舞をなすならば、泰岳も円海も席を蹴って立ち帰るならん。泰岳円海は百万の集会者よりも正しき一人の信仰者にて可なりと思ひ居るが故に、慈音を離れざるなり」と仰せられたが、此真意を理解なし得る者は、容易に育つとは見えなかった。

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