覚者慈音138 大霊界  自己の肉体に有する大霊界とは何処ぞ   教主寛大講義

未知日記講義第一二巻  大霊界    巻の弐                         NO94
      
自己の肉体に有する大霊界とは何処ぞ   その6
                                                                           教主寛大 講述


 空なる方向に導くには無言詞ならでは完全なる教へはなし難し。故に有言詞をかりて、その言葉より、無言詞を伝へんとはかり居る迄なりと知るべし。学者の言葉を借れば学者と見られ、宗教者の言葉を借れば、宗教者とみらるるは是非もなきことなり。されど学者の言葉を借りて導かば専門的となりて、衆人には解釈する事を得ず。故に一般的ならねば是を避け居るなりと承知せよ。科学者はその学問によって全宇宙の真相を探らんとし、音楽家は音楽によって其理を究めんとし、易学哲学者はその学によって全宇宙の神秘を探らんとするが故に、ここに相互間に喰い違ひを生ずることは是、是非もなきことなり。故に我等は其等の何れにも組せず、唯ありのままを我等が体験したる事実より、語り居るにすぎざるなり。
 近代汝等の世界は戦争と云ふいまはしきものに囚はれて、すべての人類が争闘の為に、人気は皆是に化せられ居るがために、その人気の湧きたつ現はれが殺伐となりて、世界に広く漲り居るため、無言詞は是を一般に伝へて、人類を不安に誘い居ることは諸子も知るならん。或人は戦争を応用して、金儲けせんと企て、或人はもし戦争が起りなば、何処に避難すべきかと恐れ戦き居るにてはあらざるか。大気音波は是を示し居るなり。されど大気音波は刹那々々の有様を伝へ居る迄にて、未来の変化は如何になるやは未だ語り居らざるなり。大気音波の雑音より是を択び出して正音を求め、其によって未来を知ることを得ば、今後の姿は明らかにさとり知ることを得るなり。故に正音に化せられたる魂ならでは是を知る事難し。魂に化せられたる人にして、始めて其真相を知る。されば行をなし遂げたる予言者は是を公にして憚らざるなり。それは毫もあやまつものにあらず。行の至らざるものにして語らばあやまちは多し。この理は諸子にも認識することを得ん。故に行の至らざるものは濫に未来を予言することなかれ。一度口外せば世を害する結果となる恐れあらん。汝等衆人の中には種々様々の予言者ありて、世を混乱に導き其によって、漁夫の利を得んと計る輩は多し。心すべきことなり。我等は慈音に対して彼の口をふさぎ居るは、彼に過誤を犯さしめざるのみにあらず。慈音が我等の眼によしと見る迄行じなば、決して彼の口をふさぐことはなさざるなり。慈音はよく此事をしりて謹慎の上にも謹慎を深くして、唯一心に行に励み居るなり。彼にして今尚斯くの如し。まして一般の予言者に於てをや。実に苦々しき限りなり。慈音の如く知りても語らざるは吝みてにはあらず。唯慎みの上に慎み居るにすぎざるなり。
 未知日記に於て語りし如く霊気は全宇宙に通ず。故にすべてを霊気に返せば神を知る事も得るなり。されば肉体を有する間に、霊気に触れてすべてを観察するにあらざれば、正しきことを知るあたはざるは当然なり。故に其ところ迄進む方法を学することによって、修養の力は増大し行くと知らば、その方法に従ひて学するにあらざれば望を達すること難し。法には内観法と外観法との二種あり。初心者は精神統一とか称して心を平になす方法を講じ居るは、内観法の一種なり。されば内観法によって自己に有する心魂を導き出し、然して外観法によって宇宙の神秘を究むるは順序となり居るなり。されど是等は専門的に行ずるものならば是によって進む程度も速なれど、衆人の如く日々の生活に追はれ居るものが、斯る専門的の修行はなし難し。斯る人種を導かんがために、内外一体の方法を伝へ居るなり。内にのみ囚はるるれば外はおろそかとなり、外にのみ囚はるれば内はおろそかとなるは必然ならん。内外一体の法を学せば何れにも偏よらず通達す。されど専門的に行ずるものとの速度は鈍し。内外一体の方法は速度にぶくともたゆまず行ひ居らば、目的は達せらるるなりと承知して、只管(ひたすら)油断なく行ぜば可なり。拝みと云ふは内のみを拝むにあらず。又外のみを拝むにあらず。内外共に拝みをなすにあらざれば、一体の拝みとはならざるなり。汝等諸子は神前に拝むは所謂外を拝むなり。又己の心に何か感じたる時有難しと拝むは内を拝むなり。是等の拝みは一体化したる拝みにあらず。外にも通じ内にも通ずる底の拝みならざるべからず。眼に見えねど神はありと云ふ程度に迄信をきて拝みするは、是即ち真の内外観にして、その拝みこそ天にも通じ地にも通ず。所謂六合(りくごう)に通ずる拝みならざるべからず。すべてを空にまかすにあらざれば、六合には通ぜざるなり。故に空は神なりとして信ををく人にして、はじめて真の信は得らるるなり。

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