覚者慈音139   未知日記  第十二巻   大霊界   教主寛大講義

未知日記講義第一二巻  大霊界    巻の弐                         NO95
      
自己の肉体に有する大霊界とは何処ぞ   その7
                                                                             教主寛大 講述


 空は神なり。実は神の姿なり。又神の恵みなりと考へて行ぜよ。汝の心も魂もすべて空ならん。故にすべてを心魂にまかするにあらざれば、人としての道を明らむる事は困難ならん。心も魂も空にまかす事を得るならば、実の肉体は是に伴ふ他なかるべし。何事も己の智慧の及ばざることは空にまかすの外なし。所謂雨降るもよし、風吹くもよし。如何なる困難が己が身にふりかかるとも、其は神の思し召しなりとして明らむる人は苦みもぬぐひ去られん。是即ち我身を空にまかせたるが故なり。空にまかせてはじめて実は救はる。衆人は道を歩みて俄雨に逢ひ、衣類がぬれたりとて己の怒りを天に訴ふるとも甲斐なし。されどぬれたるものは何日かは乾きてもとに復さん。己より求めてあやまちをなしたらば、その回復はなし難きこと多かるべし。例へばあやまちて己の手を失ひたる時、是をもとに復さしむることは難からん。己のあやまちを空の責にをしつくる如き振舞をなし居る人は多し。己の罪を空の罪に帰せしむる如きは、神に反抗する人なり。神に反抗するは拝みの心にあらず。己があやまちを知らば神に謝すべし。神に謝するは拝みなり。他人より金をかりて日限に至り、催促せられて返金せざるのみか彼を怨む如きは、所謂神を知らざる人なり。
 さりながら空だのみすること勿れ。空だのみとは今日信ずるが故なり。空しき事を頼む勿れ。空と虚を混同すればここに誤信を生ず。我等の云ふ空とは空頼みにあらず。空しきことを信ずるによってここに迷ひを生ずるなり。今も語りし金をかりし人が返すべきあてもなきに金を借りたるが故に、期日に返金するを得ざるなり。あてもなき事を考ふるは是空だのみにして空にあらず。定まりたる目標を空として是にまかせよ。空には定めなく目標なしと思ふ如きは、真の空を知らざるが故なり。空とは大自然なり。空と虚とを混同して考ふること勿れ。又信ずる事勿れ。虚は信ずるに足らざるなり。又虚を信ずるとも甲斐なし。空だのみをなし居らば、望は叶ふことあたはずして挫折するは当然なり。人と人との交はりに於て、約をたがへること多けれども、神との約を結べば必らず約をたがふることあらざるのみか、その約を忘れたりとて、神は忘れ給はざるなり。さりながら空だのみは神との約束にあらず。はじめより約を結ばざることは叶へられざるは当然なり。ここに空と虚との鑑別に対して、何れが空か何れが虚なるかに、思ひ惑うこと多からん。故に次に項を変へてくはしく語るべし。
                                          (昭和二六年二月26日~四月30日)

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