覚者慈音8    幽霊画家  未知日記1巻  ミキョウ貴尊(現セイキョウ貴尊講述)

幽霊画家


「さる所に一人の画工行脚の旅に出で、途中山津波にて死したれば、其の村人より彼が妻に知らせたり。妻は彼を懇ろに弔いありけるが、彼旅立ちたる時、我三年後に帰るべしとの約を守りけん。三年後妻のもとに立ちかへりたれば、妻は驚きて、
「汝は山津波にて死したるにはあらざるか」と問ふ。彼曰く「否死せしにあらざればこそ帰宅せしにはあらずや。我、描きたる画帳もここにあり」とて妻に示めし、又旅を続くるとて出で去りたり。此時妻は「次ぎに何時かへるや」と彼又三年後と云ひて出でたり。然るに三年を経ても帰らず。妻は矢張り以前帰宅せしは亡魂なりしならんと尚も弔ひ追善を怠らざりき。
然るに六年を経て彼は帰り来りたり。妻は如何せしかと訊けば、彼、約したる三年は今日ならずやと云ひければ、妻は訝りて六年なるにと不審すれば、彼暫く考へ居りしが、妻に向ひて云へるよう。我に影ありやと。妻燈火を彼にむけしに影なければなしと答へしに、彼始めて己が死せることに心づきけん。よよとばかり泣き伏せしに、姿は消えて失せたりと云へり。
是は幽霊画家と云ふ伝説なり。然して幽霊に対する伝説は昔も今も行はれあり。精神科学も心霊科学も是等幽霊に対する研究は、学者間に於ても行はれあれど、未だ確乎たる研究の達成は得られざるは当然なり。幽霊写真或は幽霊招帰法などと愚にもつかぬことを行ひ居る輩もあり。是等は即ち幽霊見たり枯尾花の類なり。もし真の学理研究をなさんとせば、斯かる方法にては何日迄研究を重ぬとも無益なるべし。
幽霊の研究よりも寧ろ念力の研究を進めざるべからず。是には伝説の数々を聴取する要あるなり。幽霊画家は九年の間、下界の地上を行脚し居たりと云へることなり。果して九年の間、地上をさ迷ひ得るものなるかと云ふに、長きものは二,三〇年間地上と空間を往来するもの、甚だしきは百年も迷ふものあるなり。
現在人は斯かる事を語らば誰も耳を傾くる者なかるべし。仏教者は三十三回忌終らば、上昇すと云へり。我、汝等に是より語る処の話を聞かば何人と雖も必ずや信ずべし。
此処に百年の定命を受けたる人ありと仮定せんか、其の人不慮の災害にて五十年にして肉体を失はば、霊子は尚五十年の余裕を保持す。此五十年を何処におくべきかを考へみよ。授かりし天命なるが故に直ちに神に返すあたはざれば、其の年月は地球に残しおくは当然の結果となるは云ふ迄もなし。故にこの魂は宙に迷ひて五十年後にあらざれば天界にかへるを許されざるなり。彼等は死して死したるを知らず、宙に迷ふなり。是は天より引き上げられざるが故なり。心霊雑話等を参照して推理せば明らかに知ることを得ん。「所謂死したるにあらずして遊魂なし居るにすぎざる故なり。されば自殺は罪悪なりと云ふも皆此理より出でたる事を知るならん。」



さる処に一人の画家がおったそうな。彼は画工行脚の旅に出て、途中山津波に襲われ敢えなき最期を遂げた。その村人の通報により、妻は彼の死を知り、ねんごろに弔いを行った。ところが、三年経ったある日のこと、亡くなったはずの画工が妻の元に帰ってきた。
妻は驚いて、「貴方は三年前に山津波の事故に遭って亡くなったのでは?」と問えば、
彼曰く「いや、死ななかったからこそ、ここへ帰ってきたのではないか。ほら、僕が描き続けた画帳もここにある。見てごらん」と云う。
そして、翌朝、彼は又旅に出ると云って、その家を去りたり。この時、妻は「次は何日ごろ帰るの」と問えば、彼はまた三年後と云って立ち去って行った。しかるに三年を経過しても彼は帰らず。妻はやはり以前に帰宅したのは亡魂だったのかと尚も追善を怠らなかった。
しかるに六年を経て彼は帰ってきた。妻はどうしたのと聞けば、
「今日は約束の三年目ではないか。約束通り帰ってきたよ。」
妻はいぶかりて、「六年目になる」と云う。
彼は暫く考え込んでいたが、妻に向かって「僕に影があるか?」と聞く。
妻は燈火を彼に向けたところ、彼の影は見えない。
妻は驚いて彼に云う「貴方には影がない !」
そこで、彼は初めて自分が死んだことに気づき、
よよとばかり泣き伏した。そして同時に彼の姿は消え失せたという。


これは幽霊画家という伝説です。この画家は九年の間、下界の地上を行脚していたことになる。果たして九年もの間、地上をさ迷っておれるものかというに、長きものは二〇年、三〇年間地上と空間を往来するもの、また甚だしきは百年も迷う者があるそうです。
ここに百年の定命を受けた者があったとしましょう。その人が不慮の災害、或いは自殺にて五十年にして肉体を失ったら、その人の魂は尚五十年の余命を保持することになります。
その五十年をどこに預けおくか。故にその魂は五十年間宙に迷った後でなければ、天界に
帰ることは許されないという。自殺が罪悪というも、みなこの理から出たものなのです。
では、その不慮の死を遂げた魂が救われる法はないかといえば、ひとつだけあります。
いくら名僧知識と呼ばれる人たちが渾身の力を振り絞って、お経を称えてもはっきりいって無功徳。死者の追善供養には如何なる力も持ち合わせません。
その唯一の方法とは、残された遺族が一心に厳戒の辞を唱えることしかありません。東北のあの大津波でなくなった二万余の亡魂はいまも迷っておられます。坊さんが経を一心に唱えたとしても、魂の救済にはならないのです。

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