覚者慈音27     未知日記講義第一巻 ミキョウ貴尊講述 現在のセイキョウ貴尊講義

未知日記講義第一巻 ミキョウ貴尊講述     


我、汝等を誘導して共に手を携へ以て正道を進まんとす。
されば特に心を用いて神語を口訳して、汝等が日常使用せる
言々句々を撰び、肉眼にもあれ、又は肉耳にもあれ、容易に悟り
得る文章を使用せり。また此の書は我修得して究めたる事実なれば疑義をさしはさむ事なく、一路邁進して速やかに法の妙を究むべし。


貞操を破壊するにも結婚と、邪淫を混同する勿れ。
結婚は組織にして邪淫は破壊なり。窃む勿れ。
窃まれし者の心身を破壊し、窃みたる者の
心の親を破壊すればなり。


死期迫りて天国を求め、敵攻め来たりて武具を造る。
何の効果あらんや。失われたるは過去なり。来るは未来なり。
悟りは今なり。現在なり。親の在す間に心身を整ふべし。
論の余地なき机上の空論となす勿れ。
実を結ばしめんがために花は散るなり。
徳を得せしめんが為に神の力は背後に来る。
躊躇すれば又もとに復す。生まるる喜びは悲しみを招き、
明玉を得たる楽しみは失ふ怒りを招く。福徳の喜びは損失の憂ひあり。
居に安んずるには居を失ふの苦しみは地球の習慣なり。
真の安楽を得んと願ふは人心なり。其の不変の安楽は何処ぞ。即ち汝の父母に問へ。
汝の父母はよく是を知れり。
自ら問ひ、自ら答へん。自問自答は法なり。座禅工夫を要せず。
汝の両親は汝の肉体の家に宿れり。汝は汝に答へて一切を計れ。
始めは心に咎れども、後には親の声を聞かん。
愚に似たれども、賢なる方法なり。人はむづかしきを喜ぶ以て賢なりと考ふれど、
是、愚なり。徒にむづかしきを知りて驕慢の心を生じ、我こそ知者なり、
学者なりと慢じて何の得る処あらんや。
人来たらずとも深山の花は清く咲く。塵にまみれて麓に咲きたりとも美はしからんや。
自問自答の法は俗法なり。座禅工夫は尊法なりと思はば、その是非を論ぜず、
実行によりて何れが是か非か、その優劣を試しみよ。
如何に平凡なる事なりとも行を修せば、後には親の声を聞かん。

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