未知日記講話集   こだま会講演日記    第七回   衛藤欣情

教主は特に
 「彼(泰岳大師)は慈音を愛し、こだま会には欠かさず慈音に至りて、無言詞を送りて指導なし居れど、姿を現はすにあらねば会員の人達は別段意中に止め居らざれど、会員にあたえ居る無言詞の力は実に尊し」と未知日記に記録せしめられて居るのである。
 泰岳大師は会に臨まれても、言葉を発せられることは稀であった。又発言されたとしても自らなる幼児言葉で極めて短くお話なぞと云ふものではなかった。いつも慈音老師の手にかけた念珠を上下左右に振り動かされただけで退席された。
 泰岳大師は臨席されるようになってから、三者三様の姿、相違について明確と迄はいかない迄も、明らかに私の眼に識別されるようになった。何のごまかしも手品も演技もなく素で示された此現象が、舞台の上の俳優の演技の如く看過されてよい筈のものではなかった。然しここに集る人々が受けた印象感銘には明白に強弱厚薄が看取された。その個性によって現在のあらはれにも非常に大きな差があらはれて居た。ここ迄来ても自己完成に真剣に取り組むことのむづかしさを私は自ら感じ、他の上にも其を看て居た。
 こだま会の会員数が増加するにつれ、慈音は常に会員から個人的な相談を持ちかけられ、意見を求められた。その取次ぎ役を私自身又よくたのまれた。彼は世間体盲目の老人であったが、真実はよく見える両眼を持って居た。又両耳もうとくよく聞えぬと云ふ事になって居たが本当はよく聞こえる耳であった。会員達が気がつかない間に、彼は会員の三世(過去現在未来) をよく知って居た。また彼や彼女がどんな相談を持って来るかも前以て知って居たのである。然し如何なる些細の事でも、彼は彼自らの意見は述べなかった。一々貴尊におたづねした上でないと返答しなかった。其には深い理由があった。
 「慈音は座禅に依って自得見性したりと悦び居たりしも、即ち魂(こん)を見たるに過ぎざりしなり。さればこそ彼は禅をなさざれば直ちにもとに復して影を見る能はざりしなり。一般僧達の中にすら非常に優れたる者も魄を引き出して、仏の如く誤認し居るも少なからずあるなり。さればこそ慈音は従来座禅より受けたる魂(こん)を霊と感じ居るを教主は知りたまへるによりて、今日迄固く誡めて他よりの質問に対しても明答を避けしめられたるなり。故に我は慈音をして生涯斯る一方的誤れる悟道に終らしむるを不憫と思ひて、自問自答の法を教へて迷悟を打破するを得せしめたるなり。
 故に慈音は今日迄慈音は迷ひに迷ひて稍もすれば信仰を棄てん計りしことも屡々なりき。然れども我は彼の信仰を厚からしめん為に魂のさとり、魄のさとりの区別を今日迄語らざりしなり。今我是を語れるによって慈音は全く迷夢より醒めて感謝しつつあるは我も多とす。然して尚有難きは教主の愛なり。我等が教へし自問自答の他に頭腹一体の法を教へられて心意魂魄一如の法を完全ならしめたり」と、以上の事情に依るのである。然して此謹慎は昇天日迄、彼は変へなかったのである。又彼自身は
 「たとひ俺の個人的意見だと言っても、もう俺の周囲の者はそうとるまいからな。其故少しの誤があっても申し訳ないと思って」と云われた。此謹慎が彼に必要なこと迄も言葉すくなく無口にして仕舞ったのである。その間の事情は次第に私にも吞みこめてきた。

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