覚者慈音210 未知日記講義第一二巻  大霊界 絶対とは如何なるものか   教主寛大講義

未知日記講義第一二巻  大霊界       巻の四                        NO162
 絶対とは如何なるものか          その5                                                    教主寛大 講述


 我等は常に語り居る如く心常に平ならば無言詞は自づと通じ来る。是むづかしきわざをなさずともなし得らるるものにて、心常に平とは恰も小児の其の如くなり居らば其にてよし。彼や是やと種々様々心を動じ居るが故に波風立ちておだやかならず。故に心は乱るるなり。心を平静にして波風立てざるよぅ努力なし居らば、有言無言に不拘通達してあます処なからん。明鏡止水の道理は平常心ならでは明らかに映ずるものにあらず。平常心是道とは是等の道理を指すならん。一家の円満を計らんとせば家人悉く小児の其の如く動ぜざる心に化せられ居らば一家に風波は起らざる筈なり。この理を延長して一国一界に迄及ぼさば波風の立つべき憂ひあらんや。己に求めて己に傷く。是己の心動じ居るによってなり。心に波風たたせぬ用心肝要ならん。小児の語りし如く「死せざるものは神なり。神を措いては他になし」と告げたるにてはあらざるか。其死せざる神は誰ぞ、即ち汝等なるべし。神の家より出でて神に返へるものの其は経路にすぎず。死せざるが故にその経路を流転するのみ。死するにてはあらざるなり。換言すれば神より神への延長にすぎざる道理あらん。故に死せざるなり。人と云ふも仏と云ふも神にかへるべき道すじに他ならず。
 心動ぜざれば心魂霊は一体となる。霊は魂を抱きて傷けず。死なしめざるが故に不滅なり。一進一退波動力によると雖も傷かずば何等差支なからん。汝等衆人が身に関して如何なる艱難困苦の襲ひかかるとも、不滅の魂傷かずば自若として動ずることもなかるべし。色に交はりて色に染まらざる底の魂を養ひ居らば如何なるものにも染まることなし。清浄無垢の明玉となる不動の観念に化せられずば望は達し難し。信仰の力もここ迄進まば最早我等の言葉の必要もあらざるなり。然して早く我等に合せよ。我等に来りて共に後輩者の指導者とならんことを我等は願ふ。

 絶対信となりて相対界を歩まば相対界是相対にあらず。相対も帰する所絶対と変ぜん。斯く語りて諸子は是を如何に解釈するや。この言葉をかみわくる力ありや。然して実に尤もなりと判定を下す心となれよ。兎に角有言詞を無言詞にかへらしめよ。有言詞より無言詞を追ひ求めて是を覚るにあらざれば意味は解し難からん。此言葉には慈音も迷ひたり、迷ふも無理ならぬことなり。されどこの言葉の中に潜在なし居る無言詞は、大なる力を汝等衆人に与ふること疑ひなし。是によって何かを求めよ。訳の分らぬことを語るものかなと思ひて等閑に附すること勿れ。

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