未知日記 第十巻 帰途案内記 巻の一 大序の巻 NO 33 セイキョウ貴尊 講述 我、先に語りをきたる大悪ひるがへせば大善となると説きたり。又信ぜんと欲せば疑ひを強くせよとも語りたり。大悪とはさびたる玉の如く、そのさびが一時に脱落すれば、却て明玉を放つと同様にて変化の度著しきを見るならん。疑ひとは矢張り錆なり。其錆を丹念に洗ひ落さばきは…
未知日記 第十巻 帰途案内記 巻の一 大序の巻 NO 32 セイキョウ貴尊 講述 又信仰と云ふことに対して、他人の信仰を傷くることなかれと教へしも、汝らの考へと我の考へとには相違あり。他人の信仰を傷けて己の信仰に化せしめんとする如きは、是疑ひと云ふ汚れを多くせしめて、信仰と云ふものに汚れを与ふるが故に、他人の信仰は傷つくることなかれと説…
未知日記 第十巻 帰途案内記 巻の一 大序の巻 NO 31 セイキョウ貴尊 講述 斯く語り来る時世人は迷ふならん。其は他ならず。信じると云ふ言葉ある以上其が無言詞絶対と云ふならば、是に対して又疑ひと云ふ無言詞疑ひはある筈ならんと云ふことなり。されど其は正しき信仰と云ふものを未だ知らざるが故なり。疑ひと云ふは信仰に附着する一つの穢れたる垢…
未知日記 第十巻 帰途案内記 巻の一 大序の巻 NO 30 セイキョウ貴尊 講述 信仰は初めより具はりあるものにて、魂と共に潜在なし居ることに考慮をめぐらすならば、魂を見出すには信仰と共に求むるにあらざれば得難きことと知るべし。魂は信仰によって得らる。故に信仰即魂、魂即信仰の関係となるなり。よって無言詞絶対に至らば魂は自づと表面化し来る…
未知日記 第十巻 帰途案内記 巻の一 大序の巻 NO 29 セイキョウ貴尊 講述 宗教者がよく語り居る絶対他力とか絶対自力とか云へる言葉に対しても世人は疑問を起さざるや。宗教者の語る絶対と我等が語る絶対とには是又相違あるなり。宗教者の語る絶対とは所謂有無の対照にてこれ又絶対にはあらざるなり。故に絶対他力絶対自力と云ふ言葉は、即ち前に語り…
未知日記 第十巻 帰途案内記 巻の一 大序の巻 NO 28 セイキョウ貴尊 講述 全宇宙の大自然はすべてを完備して至らざることなし。その一部の現れとして人類は組織されたるなり。されば大自然の理を究め尽して是を応用せばなしてならざる事あらんや。ならざるは未だ智能の及ばざる故なり。されど自然の範囲は極めて広く是がすべてを知り尽すことは、人智…
未知日記 第十巻 帰途案内記 巻の一 大序の巻 NO 27 地球の学者達へ セイキョウ貴尊 講述 故に斯る微々たる智慧を先づすてて、我等が説を聞き、然して其によって新らしき発見をなすことに努力せば、却て望みは速かに果さるること疑ひあるべからずと、我等は促すものなり。 近代汝等が世界の学者達の或る一部に、太陽系以外の独立星ありと伝へ居ること…
未知日記 第十巻 帰途案内記 巻の一 大序の巻 NO 26 セイキョウ貴尊 講述 例へば山間僻地に生れたる小児に都会の有様を語るとも解することを得ざるが如く、天界のことに於ても口をきはめて語るとも汝等には解しがたからん。所謂汝等は僻地に生れし小児の如きものなればなり。然しながら僻地に生れし小児と雖も智慧を磨き、軈て成人して種々様々の学問…
未知日記 第十巻 帰途案内記 巻の一 大序の巻 NO 25 セイキョウ貴尊 講述 今汝等の住める世界を十流界と見なすならば、向上して九流界に或は八流界七流界と階を重ねて、宇宙の進歩を計らざるべからず。是広き意味の社会運命開拓の方法によってなし得らるることも考慮に入れよ。一人の運命を開拓するは百人千人の運命を開らく基礎なるべし。我のみ向上…
未知日記 第十巻 帰途案内記 巻の一 大序の巻 NO 24 セイキョウ貴尊 講述 余事はとにかく世人の一生の行動を観望するに、即ち本末を払ひて空となし、又本末を出現せしめて空となす方法を繰り返へし居るのみにて、進歩発達の道を択ばんとはせず空しき一生を送り居ることに気づかざるや。朝におきて夕に眠る、これ一日の本末なるべし。是を幾年か繰り返…
未知日記 第十巻 帰途案内記 巻の一 大序の巻 NO 23 セイキョウ貴尊 講述 世人は平和を口に称へ居れど其は慈悲の心愛の心を有せざるが故に、口先ばかり平和にて是を事実に移すことをなし居らざる事を我等は知る。例へば理論を交換することに於てすら是を討論と名づけ居るにてはあらざるか。討論とは争ふ意味にてはあらざるかと我等は思ふが如何 ! …
未知日記 第十巻 帰途案内記 巻の一 大序の巻 NO 22 セイキョウ貴尊 講述 我、かく語らば世人は思ふならん。「信仰とは即ち愛の心、慈悲の心に化せしめなば其にて全きとならば、余りに単純なるものにてはあらざるか。かかることにては世は進歩発達なしがたからん」にとの、考へを持つ人もすくなからずあらん。所謂宗教者が神は愛なり。神は慈悲なりな…
未知日記 第十巻 帰途案内記 巻の一 大序の巻 NO 21 セイキョウ貴尊 講述 人間性にて終るならば修養の肥料をあたへずとも、野育ちに育てなば藁をのばしたるにて終らん。人を作らんが為に修養の肥料を施さずば稔りは得難し。斯ることは誰もが知る処なるに不拘人間は人間にて終らばよしとの愚説を弄して、徒に世を攪乱する如きは憎みても尚余りある事にては…
未知日記 第十巻 帰途案内記 巻の一 大序の巻 NO 20 セイキョウ貴尊 講述 例へば仇をなすものを愛せよと云へる一言に対してすら「世人はかかることは人間なる以上なすことは難し。如何に神仏を信仰すとも怨みは恨み、仇は仇、恩は恩なり。焉んぞ仇するものを愛することを得んや。是即ち人間本能性なるが故なり。人間に生れたる以上かかる事なし得べき道…
未知日記 第十巻 帰途案内記 巻の一 大序の巻 NO 19 セイキョウ貴尊 講述 混乱せる浮住界の有様をくはしく語らば世人戦慄するならん。されど我等は宗教者にあらず。徒らに語り伝へて却て世人の心に或は魂に傷つくることを計るも詮なし。よつて詳細は語らじ。唯苦みの場所なりとのみ語るに止むべし。浮住界と如意界の間には安眠する一定の処ありて、謂…
未知日記 第十巻 帰途案内記 巻の一 大序の巻 NO 18 セイキョウ貴尊 講述 健全なる魂を健全なる肉体に宿らしめて、更にその子孫を作らば健全なる人間は組織出現せらるる道理を認識せば、敢て空しきいたづらごとにはあらざるべし。或僧云ふ、「釈迦と云ふ悪戯者が世に出でて、多くの人を迷はせにけり」とものしたるにてはあらざるか。釈迦は如何なる者…
未知日記 第十巻 帰途案内記 巻の一 大序の巻 NO 17 セイキョウ貴尊 講述 又是等の游魂を他の母胎に送るもあり、或は特に魂換するもあり、或は魂換にあらずして命数尽きたる者の魂をぬきて、是に新らしく入魂せしむるもあり、或は更に入魂せしめて一時二重魂となしをくもあるなり。これらの事柄は重魂のところに於て語りたる事柄より推理せば明らかに…
未知日記 第十巻 帰途案内記 巻の一 大序の巻 NO 16 セイキョウ貴尊 講述 如意階の原理を知りたるものならでは是を看破することは難し。されどこの理を知りたるものならば敢て不審することはあらざるなり。全宇宙の組織の中に是等の階あることを光明論に於て、八大門を見聞したるものならば凡ては頷くところあるなり。教主が光明論を説き給ひてみだり…
未知日記 第十巻 帰途案内記 巻の一 大序の巻 NO 15 セイキョウ貴尊 講述 世人の自問自答のすぐれざるは、種々様々の雑念の自問自答なるが故なり。例へば一つの事を問へば其に対して忽ち答を与ふ。然るに世人は五つ六つ或は十、二十の事柄を一時にたづぬるが故に、答へも一時なるが故複雑となりて判明せざるに等し。恰も写真を撮映するに二重三重同じ種板を…
未知日記 第十巻 帰途案内記 巻の一 大序の巻 NO 14 セイキョウ貴尊 講述 光明論に於て(シュ)の門を再読し見よ。如意階とは即ち(シュ)の門に匹敵するが故なり。(チ)の門は因果論に於て既にミキョウは語りたれば世人はすでに推知なし居るならん。故に我はこれを省略して(シュ)の門より語ることとせん。もとより是等の説明は言葉にては云ひ現は…