未知日記霊話集千六百十四回  帰途案内記 NO 33 如何なる穢れ多き所に生活すとも、その汚れに染まざる底の信仰にあらざざれば、魂は傷く。傷かば汚れは染みて脱落せしむることは容易の業にあらず。魂に信と云ふ穢れざる衣を纏はしめて、常に清浄化なし居らば、魂は安らかならん セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記        巻の一 大序の巻  NO 33 セイキョウ貴尊 講述                       我、先に語りをきたる大悪ひるがへせば大善となると説きたり。又信ぜんと欲せば疑ひを強くせよとも語りたり。大悪とはさびたる玉の如く、そのさびが一時に脱落すれば、却て明玉を放つと同様にて変化の度著しきを見るならん。疑ひとは矢張り錆なり。其錆を丹念に洗ひ落さばきは…

未知日記霊話集千六百十二回  帰途案内記 NO 32 何となれば光明うすきが故に汚れは附着す。信仰の度強ければ汚さるるものにあらず。故に欺かるることはあらざるなり。欺かれざる底に迄、信仰の力をたかむるにあらざれば、正しき信仰とはならざるなり。信仰には智慧を伴ふ故に、智慧あるが故に欺かるるものにあらず。又汚さるるものにもあらざるなり。信仰をたかむれば、智慧もたかまる セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記        巻の一 大序の巻  NO 32 セイキョウ貴尊 講述                       又信仰と云ふことに対して、他人の信仰を傷くることなかれと教へしも、汝らの考へと我の考へとには相違あり。他人の信仰を傷けて己の信仰に化せしめんとする如きは、是疑ひと云ふ汚れを多くせしめて、信仰と云ふものに汚れを与ふるが故に、他人の信仰は傷つくることなかれと説…

未知日記霊話集千六百十二回  帰途案内記 NO 31 信仰は清浄無垢にして汚れたるものにあらず。されど周囲の関係より集り来る垢によって汚さるるが故に、ここに疑ひと云ふ汚れが附着なすによって、霊と云ふ水に依て是を洗ひ清めて清浄無垢の魂と化すれば疑ひの垢は、清除せられて影を没す。故に疑ひには絶対と云ふものはあらずして、周囲より集り来る汚れなれば日々拝みをなして、その垢を脱落せしめて魂に光明を輝すことに努力すれば、信仰は正しく強く輝くと知るべし セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記        巻の一 大序の巻  NO 31 セイキョウ貴尊 講述                       斯く語り来る時世人は迷ふならん。其は他ならず。信じると云ふ言葉ある以上其が無言詞絶対と云ふならば、是に対して又疑ひと云ふ無言詞疑ひはある筈ならんと云ふことなり。されど其は正しき信仰と云ふものを未だ知らざるが故なり。疑ひと云ふは信仰に附着する一つの穢れたる垢…

未知日記霊話集千六百十一回  帰途案内記 NO 30 信仰をたかむる法は、即ち拝みするにあらざれば得がたきことも推して知ることを得るならん。されば法とは拝みなるが故に、信仰より拝みの法は、現出することも亦当然ならん  セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記        巻の一 大序の巻  NO 30 セイキョウ貴尊 講述                       信仰は初めより具はりあるものにて、魂と共に潜在なし居ることに考慮をめぐらすならば、魂を見出すには信仰と共に求むるにあらざれば得難きことと知るべし。魂は信仰によって得らる。故に信仰即魂、魂即信仰の関係となるなり。よって無言詞絶対に至らば魂は自づと表面化し来る…

未知日記霊話集千六百十回  帰途案内記 NO 29 信仰を法によって求むるにあらず。所謂信仰ははじめより備はりあれど是を表面に現はすこと難きがゆえに、是を引き出さんが為には何かの術なかるべからず。即ち是を引き出す術は法なり  セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記        巻の一 大序の巻  NO 29 セイキョウ貴尊 講述                       宗教者がよく語り居る絶対他力とか絶対自力とか云へる言葉に対しても世人は疑問を起さざるや。宗教者の語る絶対と我等が語る絶対とには是又相違あるなり。宗教者の語る絶対とは所謂有無の対照にてこれ又絶対にはあらざるなり。故に絶対他力絶対自力と云ふ言葉は、即ち前に語り…

未知日記霊話集千六百九回  帰途案内記 NO 28 教主が仰せられし如く、一法を修すれば万法に通ずの原理を体得して、其によって自然に順応すれば大同小異道は開らかるることに着眼して、先づ大自然の本来をあやまたざるやぅ工夫するにあらざれば、却て迷ひのみ多くして得る処尠少からん  セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記        巻の一 大序の巻  NO 28 セイキョウ貴尊 講述                       全宇宙の大自然はすべてを完備して至らざることなし。その一部の現れとして人類は組織されたるなり。されば大自然の理を究め尽して是を応用せばなしてならざる事あらんや。ならざるは未だ智能の及ばざる故なり。されど自然の範囲は極めて広く是がすべてを知り尽すことは、人智…

未知日記霊話集千六百八回  帰途案内記 NO 27 太陽系宇宙に散在するすべての星を、太陽によって保持せらると云へる学説も、軈ては覆さるることもあらん。汝等の数学より計算する時引力圧力光と熱などによって計算なすとも、其のみにては適確なりとは云ひ難し セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記        巻の一 大序の巻  NO 27 地球の学者達へ セイキョウ貴尊 講述                     故に斯る微々たる智慧を先づすてて、我等が説を聞き、然して其によって新らしき発見をなすことに努力せば、却て望みは速かに果さるること疑ひあるべからずと、我等は促すものなり。  近代汝等が世界の学者達の或る一部に、太陽系以外の独立星ありと伝へ居ること…

未知日記霊話集千六百七回  帰途案内記 NO 26 汝等は僻地に生れし小児の如きものなればなり。然しながら僻地に生れし小児と雖も智慧を磨き、軈て成人して種々様々の学問によって都会の有様を居ながらにして知ることは難きにあらざる如く、汝等と雖も智慧を磨き学徳を積みて天界を想像するならば、軈ては天界に至らずして知ることも難きにあらざる道理あらん。其には体得を積みて天界をきはめたる正しき指導者によって学ぶの要あらん セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記        巻の一 大序の巻  NO 26 セイキョウ貴尊 講述                       例へば山間僻地に生れたる小児に都会の有様を語るとも解することを得ざるが如く、天界のことに於ても口をきはめて語るとも汝等には解しがたからん。所謂汝等は僻地に生れし小児の如きものなればなり。然しながら僻地に生れし小児と雖も智慧を磨き、軈て成人して種々様々の学問…

未知日記霊話集千六百六回  帰途案内記 NO 25 我等この世界より時間空間を有する汝等が世界を観望なすによってこそ、すべてを見通すことを得るなり。汝等も早く覚醒めてこの処に来れ。然せば一目瞭然にすべてをきはむることを得ん。肉体を有する間にこの行をなして然して体得せよ。肉体亡びての後はこの行は至難なる故なり  セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記        巻の一 大序の巻  NO 25 セイキョウ貴尊 講述                       今汝等の住める世界を十流界と見なすならば、向上して九流界に或は八流界七流界と階を重ねて、宇宙の進歩を計らざるべからず。是広き意味の社会運命開拓の方法によってなし得らるることも考慮に入れよ。一人の運命を開拓するは百人千人の運命を開らく基礎なるべし。我のみ向上…

未知日記霊話集千六百五回  帰途案内記 NO 24 人間の種子を蒔きて人の実を結ばするにあらざれば運命開拓とはなり難し。人間の種子より人の実を結ばせ、人の種子より仏の実を結ばすことによってこそ、進歩発達は得らるるなり。是を運命開拓と云ふ セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記        巻の一 大序の巻  NO 24 セイキョウ貴尊 講述                       余事はとにかく世人の一生の行動を観望するに、即ち本末を払ひて空となし、又本末を出現せしめて空となす方法を繰り返へし居るのみにて、進歩発達の道を択ばんとはせず空しき一生を送り居ることに気づかざるや。朝におきて夕に眠る、これ一日の本末なるべし。是を幾年か繰り返…

未知日記霊話集千六百四回  帰途案内記 NO 23 もし彼等にして正しき愛、正しき慈悲の心にて理論を交換なすならば、斯る醜き争ひは併発するものにあらず。故に大切なる事は慈悲と愛なりと云ふなり。暴力によって正しきものを虐げんとか、或は正しからざるものを屈服せしめんなどとは是愛にあらず。又慈悲にもあらざるなり。慈悲と愛は正不正に不拘是を化せしむることを得る大なる力あるによつて、人はこの力を得んがために修養修行の必要に迫らるることに深く意を用いざるべからず セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記        巻の一 大序の巻  NO 23 セイキョウ貴尊 講述                       世人は平和を口に称へ居れど其は慈悲の心愛の心を有せざるが故に、口先ばかり平和にて是を事実に移すことをなし居らざる事を我等は知る。例へば理論を交換することに於てすら是を討論と名づけ居るにてはあらざるか。討論とは争ふ意味にてはあらざるかと我等は思ふが如何 ! …

未知日記霊話集千六百三回  帰途案内記 NO 22 神は慈悲なり。神は愛なるが故にすべてを引き上げんと諮り給ふなり。引き上ぐるとは唯その人の魂を天界に導く底の如きを云ふにあらず。世の中のすべてを向上発達せしむることを引き上ぐると云ふなり。学者は学徳によって向上し、智者は智慧によって世を救ふ道を計りて、すべてを向上せしむるが故に、万物はその徳を受けて進化することを得るなり  セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記        巻の一 大序の巻  NO 22 セイキョウ貴尊 講述                       我、かく語らば世人は思ふならん。「信仰とは即ち愛の心、慈悲の心に化せしめなば其にて全きとならば、余りに単純なるものにてはあらざるか。かかることにては世は進歩発達なしがたからん」にとの、考へを持つ人もすくなからずあらん。所謂宗教者が神は愛なり。神は慈悲なりな…

未知日記霊話集千六百二回  帰途案内記 NO 21 遊びて福徳を得、然して健全なる肉体を祈りて求むる如き愚なる考へを以て、神を信ずる如きは愚も亦甚だし。斯る宗教者のあるがために世は向上発達せず、却て陰謀を企む悪魔の俘虜となるは、かかる迷信の結果より生ずる現はれにて真に憂慮に堪えざるなり  セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記        巻の一 大序の巻  NO 21 セイキョウ貴尊 講述                     人間性にて終るならば修養の肥料をあたへずとも、野育ちに育てなば藁をのばしたるにて終らん。人を作らんが為に修養の肥料を施さずば稔りは得難し。斯ることは誰もが知る処なるに不拘人間は人間にて終らばよしとの愚説を弄して、徒に世を攪乱する如きは憎みても尚余りある事にては…

未知日記霊話集千六百一回  帰途案内記 NO 20 世人の世界は斯くの如き姿なるによって一時のがれの信心を起し、何百種かの宗教信徒を作り居るにてはあらざるかに対して、深く考慮して眼を明らかにし、耳をきよくするの要はあらざるかと思ふなり。世人の信仰は唯病気を治癒し呉るる神仏とか、或は金銭をめぐみくれる宗教とかに対して、潔く帰依し居ることを我等は知る。斯るあさはかなる信仰にては到底天界の高きを広きを語るとも通ぜざる当然なり セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記        巻の一 大序の巻  NO 20 セイキョウ貴尊 講述                      例へば仇をなすものを愛せよと云へる一言に対してすら「世人はかかることは人間なる以上なすことは難し。如何に神仏を信仰すとも怨みは恨み、仇は仇、恩は恩なり。焉んぞ仇するものを愛することを得んや。是即ち人間本能性なるが故なり。人間に生れたる以上かかる事なし得べき道…

未知日記霊話集千六百回  帰途案内記 NO 19 今世人の宗教信仰の姿を見るに、その多くは一時のがれの信心なることによって、神仏を拝み居るにすぎず。信仰は永久ならざるべからず。一時のがれの信心は空し。現今日本には何百種の宗教現出なし居りてみな其々神仏を語り居れど、一つとして正しきものはあらざるなり。凡ては一時的にして永久のものにあらず セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記        巻の一 大序の巻  NO 19 セイキョウ貴尊 講述                       混乱せる浮住界の有様をくはしく語らば世人戦慄するならん。されど我等は宗教者にあらず。徒らに語り伝へて却て世人の心に或は魂に傷つくることを計るも詮なし。よつて詳細は語らじ。唯苦みの場所なりとのみ語るに止むべし。浮住界と如意界の間には安眠する一定の処ありて、謂…

未知日記霊話集千五百九十九回  帰途案内記 NO 18 釈迦は如何なる者の魂換せられたるやを世人は知ること難かるべし。釈迦も魂換せられて出現したるものにて、是が人間の上位に置かれたるは何の為かを深く考慮し見るべし。イエスに於ても亦然り。この外他の聖者と云はれるものすべて魂換によって栽培せられたるに他ならず セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記        巻の一 大序の巻  NO 18 セイキョウ貴尊 講述                       健全なる魂を健全なる肉体に宿らしめて、更にその子孫を作らば健全なる人間は組織出現せらるる道理を認識せば、敢て空しきいたづらごとにはあらざるべし。或僧云ふ、「釈迦と云ふ悪戯者が世に出でて、多くの人を迷はせにけり」とものしたるにてはあらざるか。釈迦は如何なる者…

未知日記霊話集千五百九十八回  帰途案内記 NO 17 世人の中には昨日迄の人格と今日の人格が一変したる人を見るならん。是等もみな游魂の変換されたりと見て差支なし。是等の事柄をくはしく語り居らば枚挙に暇なし。故に省略す。(三世と四世論重魂のところを参照せられたし) セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記        巻の一 大序の巻  NO 17 セイキョウ貴尊 講述                       又是等の游魂を他の母胎に送るもあり、或は特に魂換するもあり、或は魂換にあらずして命数尽きたる者の魂をぬきて、是に新らしく入魂せしむるもあり、或は更に入魂せしめて一時二重魂となしをくもあるなり。これらの事柄は重魂のところに於て語りたる事柄より推理せば明らかに…

未知日記霊話集千五百九十七回  帰途案内記 NO 16 全宇宙の組織の中に是等の階あることを光明論に於て、八大門を見聞したるものならば凡ては頷くところあるなり。教主が光明論を説き給ひてみだりに此書を見すべからずと仰せられしも、ここに深き意味あることを知らざるべからず。されど教主は秘する勿れ。見るも差し支えなし。されど智慧のすぐれざるものに見するとも有害無益なるによって、斯くは仰せられしなりと知らば可ならん セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記        巻の一 大序の巻  NO 16 セイキョウ貴尊 講述                       如意階の原理を知りたるものならでは是を看破することは難し。されどこの理を知りたるものならば敢て不審することはあらざるなり。全宇宙の組織の中に是等の階あることを光明論に於て、八大門を見聞したるものならば凡ては頷くところあるなり。教主が光明論を説き給ひてみだり…

未知日記霊話集千五百九十六回  帰途案内記 NO 15 行者が種々様々の術を用い居るは所謂如意階の理を知りて、其に同化なすによってなりと知らば、彼等の行ふ魔法は忽ち看破することを得るなり。魔法をほどく術のあるも、即ち如意階の理をきはめなばいと易きことなり。行者は祈りをなして空中に仏の姿を現はしたりとせんか。是に対して失せよと命ずれば、忽ちその姿は消滅す。されどその仏に対して失せよと命ずる底の力が具ずば決して消せるものにあらず。彼等は業比べとして法力を磨き居るもみな、如意階の力の程度を増大なし居るにすぎざるなり  セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記        巻の一 大序の巻  NO 15 セイキョウ貴尊 講述                    世人の自問自答のすぐれざるは、種々様々の雑念の自問自答なるが故なり。例へば一つの事を問へば其に対して忽ち答を与ふ。然るに世人は五つ六つ或は十、二十の事柄を一時にたづぬるが故に、答へも一時なるが故複雑となりて判明せざるに等し。恰も写真を撮映するに二重三重同じ種板を…

未知日記霊話集千五百九十五回  帰途案内記 NO 14 此如意階の力を巧に応用せば、智慧の力の増大すると云ふ理由も察せらるるならん。我、自在論に於て語りたる自問自答の方法もみなこの理を応用したる故なり。打てば響く如く問へば答ふるは如意階の姿なり。この姿がそのままに人身にうつされある以上、自問自答の力すぐれたることは練磨によりて如何にとも、拡大せらるることも亦察するを得ん セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記        巻の一 大序の巻  NO 14 セイキョウ貴尊 講述                       光明論に於て(シュ)の門を再読し見よ。如意階とは即ち(シュ)の門に匹敵するが故なり。(チ)の門は因果論に於て既にミキョウは語りたれば世人はすでに推知なし居るならん。故に我はこれを省略して(シュ)の門より語ることとせん。もとより是等の説明は言葉にては云ひ現は…