未知日記霊話集千六百三回  帰途案内記 NO 22 神は慈悲なり。神は愛なるが故にすべてを引き上げんと諮り給ふなり。引き上ぐるとは唯その人の魂を天界に導く底の如きを云ふにあらず。世の中のすべてを向上発達せしむることを引き上ぐると云ふなり。学者は学徳によって向上し、智者は智慧によって世を救ふ道を計りて、すべてを向上せしむるが故に、万物はその徳を受けて進化することを得るなり  セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の一
大序の巻 
NO 22
セイキョウ貴尊 講述

                    
 我、かく語らば世人は思ふならん。「信仰とは即ち愛の心、慈悲の心に化せしめなば其にて全きとならば、余りに単純なるものにてはあらざるか。かかることにては世は進歩発達なしがたからん」にとの、考へを持つ人もすくなからずあらん。所謂宗教者が神は愛なり。神は慈悲なりなど一言に説き聞かせ居るが故に、かくも範囲をせまくして信仰の道を進み居るが故に、正しき信仰は得られざるなり。神は慈悲なり。神は愛なるが故にすべてを引き上げんと諮り給ふなり。引き上ぐるとは唯その人の魂を天界に導く底の如きを云ふにあらず。世の中のすべてを向上発達せしむることを引き上ぐると云ふなり。学者は学徳によって向上し、智者は智慧によって世を救ふ道を計りて、すべてを向上せしむるが故に、万物はその徳を受けて進化することを得るなり。是世を安らかならしめんがための道を授け給ひあることに考へを廻らさば、信仰と云ふものの如何なるかは察するを得るならん。慈悲と云ふ意味も従って認識することを得るならん。然るに世人はその一大事を知らず、唯己の心を愛と慈悲とに化せしむれば、其にて修養修行の道は完全に開らかるると認識せば、従って信仰の道を軽んじ却て迷道に陥る結果となることに留意せざるべからず。世の中の事柄は余りに複雑多端にして、彼是と論議するがするが故に迷ひは深刻となりて、何れを是とし何れを非とするやにすら思ひ迷ふならん。故に先づ慈悲の心愛の心に化せしめて、然してすべての事に当たらばその悉くが明白に是非の区を明らむることを得るによって、信仰するものは先づ慈悲の心、愛の心に化せしめよとすすむる他なきなり。愛する心はものを傷けず、慈悲の心は凡てを生存せしむる力あるによってなり。

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