未知日記霊話集千六百七回  帰途案内記 NO 26 汝等は僻地に生れし小児の如きものなればなり。然しながら僻地に生れし小児と雖も智慧を磨き、軈て成人して種々様々の学問によって都会の有様を居ながらにして知ることは難きにあらざる如く、汝等と雖も智慧を磨き学徳を積みて天界を想像するならば、軈ては天界に至らずして知ることも難きにあらざる道理あらん。其には体得を積みて天界をきはめたる正しき指導者によって学ぶの要あらん セイキョウ貴尊講義


未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の一
大序の巻 
NO 26
セイキョウ貴尊 講述

                    
 例へば山間僻地に生れたる小児に都会の有様を語るとも解することを得ざるが如く、天界のことに於ても口をきはめて語るとも汝等には解しがたからん。所謂汝等は僻地に生れし小児の如きものなればなり。然しながら僻地に生れし小児と雖も智慧を磨き、軈て成人して種々様々の学問によって都会の有様を居ながらにして知ることは難きにあらざる如く、汝等と雖も智慧を磨き学徳を積みて天界を想像するならば、軈ては天界に至らずして知ることも難きにあらざる道理あらん。其には体得を積みて天界をきはめたる正しき指導者によって学ぶの要あらん。よって我等は汝等を指導して下界にある間に、天界の有様を知らしめんと計る任務を架せられたる者なれば、我等の語る処は虚偽にあらず。又誇大に吹聴する者にもあらず。又如何に誇大に吹聴せんと計るとも筆舌の及ぶ処にあらざるが故に、是をきはめ尽して語ることは及びもつかざることなり。唯その儘を語りてすら尚言語の及ばざるに苦みを感じ居るなり。世人の住む処は、天界より見れば山間僻地にも相当せざる処なれば、言語に於ても亦通ぜざる故なり。天界より世人の世界を見れば、恰も小児のもてあそぶ箱庭にも足らざる処なるによって、如何に世人の智能の低きかを己、自ら考へ見るべし。箱庭に置かれし一個の小さき人形に何を語るとも及ばざるに等し。汝等は小さき想像力を以て大なる天界を考ふるとも及ばじ。故に汝等の想像力を先づ捨てて、我等の説を然あるかと信じつつ進まば、其にて自づと天界の有様は脳裡に映じ来らん。よって我等の語る処のすべてを鵜呑みにして信ずる力を先づ養ふべし。幼稚なる世人の世界にて現今の如き天文学を世人は参考として、其によって天界をきはめんとなすが故に我等の説を信ずることあたはざるなり。所謂井中の蛙大海を知らずの例に等し。例へば汝等の世界にありて光の速度を計算すると、天界の或界に於て計算するとには其にすら相違あるなり。音響に於ても亦同様なるに不拘、唯汝等の世界にて光の速度を計り其が全宇宙悉く同様なりと考ふる如きは、所謂井中の蛙が大海を計るに等しければなり。汝等の世界より月星を光によって測定せば其は大抵あやまちなし。されど是を全宇宙に応用せんと計るとも及ぶべくもあらざるなり。汝等の世界より観望なし得る程度は全宇宙の一部分にもすぎざるが故に、其によって汝等の世界より宇宙の全部を或は全宇宙の全部をきはめんとなすは、恰も蟻が地球全土を智慧によって測定せんと計るよりも尚難し。

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