未知日記 第十巻 帰途案内記 巻の二 転界の巻 NO 71 セイキョウ貴尊 講述 科学進みて却て信を失ひ、其がために魂の存在すら知るにいたらざるは、人間の智慧と神の智慧との隔、余りに大き故なり。仏教の教へに釈迦は弟子に語りて曰く、「我に従ひ来るものは遠くはなるるとも我と近し。我に従はずば我の傍に座すとも隔は遠し」と教へしと云ふにてはあらざるか…
未知日記 第十巻 帰途案内記 巻の二 転界の巻 NO 70 セイキョウ貴尊 講述 例へば汝病苦に犯されて苦むとき愚者より斯くすれば其病は治癒す。我等其に依って治癒したる験あれば行ひ見よと聞かさるる時、愚者の言など聞くに由なしとて退けんよりは寧ろ、其説を信じて治癒すれば其方法の可否は論ずるの余地なからん。悩みの失せたりとせば其だけ汝の幸福…
未知日記 第十巻 帰途案内記 巻の二 転界の巻 NO 69 セイキョウ貴尊 講述 次に第二の魂は如何にと云ふに、是は信仰ありても未ださとらざる魂なるにより、前者の場合とは異なり魂の緒全く切れての後と雖も、肉体を有する間よりの持続性を有し居るによって、霊に和して迷はず到らしめらるる所に達するなり。故に浮住界の悩みは少なし。よしんば浮住界に…
未知日記 第十巻 帰途案内記 巻の二 転界の巻 NO 68 セイキョウ貴尊 講述 されど物の理をきはむればきはむる程深くなりて、諒解する事の至難なるに遭遇して、始めて新らしき考へが次より次へと湧き出で来りて、世人の迷ひを深くするも、是宇宙の大自然の余りに広大なるが故なり。霊魂不滅の理論すら未だ完成なし居らざるにてはあらざるか。霊魂と云へ…
未知日記 第十巻 帰途案内記 巻の二 転界の巻 NO 67 セイキョウ貴尊 講述 さてここに全く魂の緒切れて離脱なしたる魂は如何にと云ふに、是には三種の異なれる経路あり。一つは肉体を有する間に完全にさとりたる者、又一つは信仰ありても未だ完全なるさとりを得ざる者、更に今ひとつは信仰全くなき者の三種あり。先づ是等の内、信仰全くなき者の有様よ…
未知日記 第十巻 帰途案内記 巻の二 転界の巻 NO 66 セイキョウ貴尊 講述 汝等肉体を有するが故に魂は宿されありて智慧はそなはり、智慧あるが故に信仰は得らるるなり。是自然の法則によって組織せられあることを早くさとるべし。肉体と魂と分離せらるれば其後の修行はなし難し。何となれば魂の緒切切るれば肉体は形を変じ、魂に信を宿し居らずば方向…
未知日記 第十巻 帰途案内記 巻の二 転界の巻 NO 65 セイキョウ貴尊 講述 汝等の世界の宗教の大半は、肉体宗教を旨とし精神宗教は少なし。世人は其が為に我等の説を聞きても稍もすれば肉体宗教にとり入れて、判断すること多き為、誤解すること多し。兎角宗教者は信者を多くせんが為に、肉体信仰を旨とする傾向あるによって、時には精神宗教者迄が是等…
未知日記 第十巻 帰途案内記 巻の二 転界の巻 NO 64 セイキョウ貴尊 講述 此説を聞きて世人は実に尤もと共鳴するや。今慈音は然あるかも知れじと言葉を洩したり。さりながら慈音の然あるならんと洩らしたる言葉には表面にて、内心には尚も不安の思ひを貯へての言葉なり。慈音の口に出せし言葉には大なる意味を有す。世人の考へと異なる意味の言葉なる…
未知日記 第十巻 帰途案内記 巻の二 転界の巻 NO 63 セイキョウ貴尊 講述 空なる事を信ぜしむるには事実を以て証明することあたはず。是が空実共に一体化して信仰を得せしむることを得るならば、斯る疑はしき論説を用いずとも、容易に信仰を得せしむる事を得れど、事実を伴はざる空論なるが故に、疑問を抱くはこれ又当然なる事なり。我、是を知るによ…
未知日記 第十巻 帰途案内記 巻の二 転界の巻 NO 62 セイキョウ貴尊 講述 前に述べたる如く魂(こん)は念となりて残る如く世人には考へしならん。是等は心意魂魄霊の区別より指したるにて、魂(こん)は陽性にして魄は陰性なるが故に斯くは語りしなり。今語りをる心(こころ)とは即ち心意の結合したるものを云ひ、魂(たましい)とは魂(こん)と魄…
未知日記 第十巻 帰途案内記 巻の二 転界の巻 NO 61 セイキョウ貴尊 講述 世人は長き間地上に生活せんことを望みて稔りをなさしめずば、其にて長き間地上に生存すとの過誤たる考へをなすなかれ。何となれば斯ることをなし居らば未熟の果物がむしばままれて、地に落つる如き結果とならん。手近き処にかかる教訓のある事に留意せよ。例へば一本の樹木に…
未知日記 第十巻 帰途案内記 巻の二 転界の巻 NO 60 セイキョウ貴尊 講述 汝等の宗教信者の中には信仰の度強くして日々を生活なし居りし人が、不時の災害にて死したるを見て、彼の人ほど信仰の強き人はあらざりしに、斯る死を遂ぐるは神も仏もありと云ふ如きは偽はりにして、世には神仏の加護などあるべき要なしと、罵りて信仰を捨つる如き人も少なか…
未知日記 第十巻 帰途案内記 巻の二 転界の巻 NO 59 セイキョウ貴尊 講述 理論を知りても真実を把握するにあらざれば其は悟りにあらず。慈音欣情は理論は知る。されど真実の信は未だ具はらざる故なり。是言行未だ一致なし居らざる信なるが故なり。理論は然あるならんと云ふ言葉にかすぎず。真実を得てはじめて然あるなりと確定することを得るなり。聊…
未知日記 第十巻 帰途案内記 巻の二 転界の巻 NO 58 セイキョウ貴尊 講述 信を得て魂を稔らせたる転界は其後のつとめに服さすることはいと易きに引きかへ、然らざるものの魂は捨つるの余儀なき憂もあるによって、同じ魂の緒の切れたる後にすら斯くも相違あるなり。魂の緒の切れたる後を世人は滅後と称へ居るならん。されど我等に云はしむればそは滅後…
未知日記 第十巻 帰途案内記 巻の二 転界の巻 NO 57 セイキョウ貴尊 講述 さればこの論説より考ふる時三対にて終らば、魂の力は弱はくして死後宙に迷ふの理も察せらるるならん。霊に化せられて初めて迷はず至る処に運ばるると云ふ説も亦、察するを得るならん。霊の力が魂を育ててその力を拡大するによって身心に及びて、大抵の病苦は治癒する理も亦察…
未知日記 第十巻 帰途案内記 巻の二 転界の巻 NO 56 セイキョウ貴尊 講述 我斯く語らば魂を完全につくりあげたる人ならば薬石を用いずとも病苦は治癒するかとの質問をなすならん。是に対して然りとは答ざるなり。例へば汝等飢餓に瀕して今や死せんとなす時、その魂が如何に大なるはたらきをなすともその肉体を満足せしむる事難からん。是には食を与へずば…
未知日記 第十巻 帰途案内記 巻の二 転界の巻 NO 55 セイキョウ貴尊 講述 世人は命数尽きて此世を去る言葉を他界すると称し居るを聞く。よって此言葉を此巻の標題になさんと考へたれどミキョウ曰く、此言葉は香ばしからず。よって天界或は移界或は転界の三種のうち、何れかを択ばれては如何と語るによって、其うち転界を択びて是を用いたり。よってそ…
未知日記 第十巻 帰途案内記 巻の一 大序の巻 NO 54 セイキョウ貴尊 講述 斯く語るとも世人は未だ合点なすあたはず。兎や角と迷ふならん。汝の肉体に具はりある眼は左右二個を有し居るにてはあらざるや。一方の眼(め)は肉体にむけ、一方の眼(め)は魂にむけなば、両者は眼(め)より入り来りて脳中に一つとなりて映じ来るは、是当然なりとの思ひを…
未知日記 第十巻 帰途案内記 巻の一 大序の巻 NO 53 セイキョウ貴尊 講述 魂は空にはたらき実に働く。故に両道にまたがり居る姿は是魂なり。故に魂は低くは心と肉体にはたらき、大きくは全宇宙に通ず。所謂全宇宙に通ずるとは即ち霊に根を張り居るが故なり。よってはじめに語りし如く人魂は、霊地によつて根をふとらせよと教へしなり。ふとりたる人魂…
未知日記 第十巻 帰途案内記 巻の一 大序の巻 NO 52 心と魂の区別 セイキョウ貴尊 講述 喜悦の心を誘導するものは魂の力なり。哀怒を誘導するものは、魂を知らざる心の現はれなりと知らば、心魂の区別は認識する事を得るならん。 心魂の区別判明したらば更に、一層深く掘り下げて考へを廻らし見よ。其魂なるものが斯くも大なるはたらきをなすと云…