未知日記霊話集千六百五十二回  帰途案内記 NO71 汝の傍には常に神は居給ふ。されど世人は恰も籾の中にかくされたる米の如くなるによりて神を知らず。故に神より遠ざかり居るなり。籾と云ふ障碍物を脱ぎ去らば、神の姿は忽然として現はる。信仰全くなき人は神の傍に居ながら、神より遠くはなれ居て、神に背をむけ居るによりて、常に神と反対の方向に進まんとなし居るに等し セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記        巻の二 転界の巻  NO 71 セイキョウ貴尊 講述                    科学進みて却て信を失ひ、其がために魂の存在すら知るにいたらざるは、人間の智慧と神の智慧との隔、余りに大き故なり。仏教の教へに釈迦は弟子に語りて曰く、「我に従ひ来るものは遠くはなるるとも我と近し。我に従はずば我の傍に座すとも隔は遠し」と教へしと云ふにてはあらざるか…

未知日記霊話集千六百五十一回  帰途案内記 NO70 世人は信を厚くして我等の説の可否を論ぜんより、寧ろ信じてさとり見よ。さとりて後疑ふならば疑ふべし。さとらずして疑ふは迷ひなり。よく我等の聞く処なるが汝の話は吾等には信じ難しと答へて、己の智慧を誇り居る人多し。斯る人は己の智慧に妨げられて、却て一大事をさとることを得ざる人に多し セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記        巻の二 転界の巻  NO 70 セイキョウ貴尊 講述                       例へば汝病苦に犯されて苦むとき愚者より斯くすれば其病は治癒す。我等其に依って治癒したる験あれば行ひ見よと聞かさるる時、愚者の言など聞くに由なしとて退けんよりは寧ろ、其説を信じて治癒すれば其方法の可否は論ずるの余地なからん。悩みの失せたりとせば其だけ汝の幸福…

未知日記霊話集千六百五十回  帰途案内記 NO69 次に第二の魂は如何にと云ふに、是は信仰ありても未ださとらざる魂なるにより、前者の場合とは異なり魂の緒全く切れての後と雖も、肉体を有する間よりの持続性を有し居るによって、霊に和して迷はず到らしめらるる所に達するなり。故に浮住界の悩みは少なし。よしんば浮住界に止る間と雖も悪魔の害を免がるるが故に、苦痛はあらざることと承知すべし セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記        巻の二 転界の巻  NO 69 セイキョウ貴尊 講述                       次に第二の魂は如何にと云ふに、是は信仰ありても未ださとらざる魂なるにより、前者の場合とは異なり魂の緒全く切れての後と雖も、肉体を有する間よりの持続性を有し居るによって、霊に和して迷はず到らしめらるる所に達するなり。故に浮住界の悩みは少なし。よしんば浮住界に…

未知日記霊話集千六百四十九回  帰途案内記 NO68 霊魂と云へば未だ幽霊を聯想なし居る程度にて、科学の進みたる今日、斯る愚説を称ふる人ありやなど語り居るを我等はよく耳にす。霊魂とは霊と魂の同化なしたるを霊魂と云ふ程度迄は、学者間にも称へ居る人もたまたまあれど、其等の学説には耳を傾くる学者は少なし セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記        巻の二 転界の巻  NO 68 セイキョウ貴尊 講述                       されど物の理をきはむればきはむる程深くなりて、諒解する事の至難なるに遭遇して、始めて新らしき考へが次より次へと湧き出で来りて、世人の迷ひを深くするも、是宇宙の大自然の余りに広大なるが故なり。霊魂不滅の理論すら未だ完成なし居らざるにてはあらざるか。霊魂と云へ…

未知日記霊話集千六百四十八回  帰途案内記 NO67 斯かる事にて魂は迷はず到るべき処に到達するならば、肉体を有する間に行ずる必要もなからんとは思はざるや。四九日とは我等に言はしむれば、数を指すにあらずして始め終りなく苦む日と云ふ。即ち始終苦日(しじゅうくにち)の譬喩を数に引用したるものならんと思ふなり セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記        巻の二 転界の巻  NO 67 セイキョウ貴尊 講述                       さてここに全く魂の緒切れて離脱なしたる魂は如何にと云ふに、是には三種の異なれる経路あり。一つは肉体を有する間に完全にさとりたる者、又一つは信仰ありても未だ完全なるさとりを得ざる者、更に今ひとつは信仰全くなき者の三種あり。先づ是等の内、信仰全くなき者の有様よ…

未知日記霊話集千六百四十七回  帰途案内記 NO66 智慧と学問との兼備したる人ならば、我等の説に耳を傾くるならん。学者多くともその学問を智慧によってはたらかせ居る人はきはめて稀なり。斯る人に学理的にて語りなば却て反抗心を起して、我等が説を曲げんとする悪癖あることを我等はよく知る。故に学理的には語らずとも、智慧そなはり来らば、我説は自づと滲入してさとりの道を得せしむる資料となることを知るによって、斯くは語り居るなり セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記        巻の二 転界の巻  NO 66 セイキョウ貴尊 講述                       汝等肉体を有するが故に魂は宿されありて智慧はそなはり、智慧あるが故に信仰は得らるるなり。是自然の法則によって組織せられあることを早くさとるべし。肉体と魂と分離せらるれば其後の修行はなし難し。何となれば魂の緒切切るれば肉体は形を変じ、魂に信を宿し居らずば方向…

未知日記霊話集千六百四十六回  帰途案内記 NO65 世人の全部を完全に悟らしむる方法は、容易の事にてはなし難し。斯く語らば「世人は迷ふならん。即ち我等は如何になすとも天界に入ることは難きか」と、汝等悲観すること勿れ。我等の説をききて信仰して共に手を携へて、我等に従ひ来らば決して迷はすことはなさざるべし セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記        巻の二 転界の巻  NO 65 セイキョウ貴尊 講述                       汝等の世界の宗教の大半は、肉体宗教を旨とし精神宗教は少なし。世人は其が為に我等の説を聞きても稍もすれば肉体宗教にとり入れて、判断すること多き為、誤解すること多し。兎角宗教者は信者を多くせんが為に、肉体信仰を旨とする傾向あるによって、時には精神宗教者迄が是等…

未知日記霊話集千六百四十五回  帰途案内記 NO64 故に先輩者の語るを信じて肉体の有する間より信じ居らば、肉体放棄しての後は安かるべし。よし肉体滅後魂の飛散するは事実なりとも、或は我等の説が事実なりとも何れにても、我等の説を信じをくに勝ることあらんやと思ふが如何 ? セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記        巻の二 転界の巻  NO 64 セイキョウ貴尊 講述                       此説を聞きて世人は実に尤もと共鳴するや。今慈音は然あるかも知れじと言葉を洩したり。さりながら慈音の然あるならんと洩らしたる言葉には表面にて、内心には尚も不安の思ひを貯へての言葉なり。慈音の口に出せし言葉には大なる意味を有す。世人の考へと異なる意味の言葉なる…

未知日記霊話集千六百四十四回  帰途案内記 NO63 一部分の念が残りてすら種々様々のはたらきをなす。是等を世人は幽霊と称へ居るなり。其は僅かに心の一部分と魂の一部分が念ぜられたる現はれに過ぎず。故に大部分は霊に導かれて昇天すれど残したる念に引かれて到るべき処に到着することを得ざるなり。是魂の緒の全く切断せられざるによってなりと知るべし。故に永久生きんとならば是等を残す事をせず、修養して全き生を得んことに努力せよ セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記        巻の二 転界の巻  NO 63 セイキョウ貴尊 講述                       空なる事を信ぜしむるには事実を以て証明することあたはず。是が空実共に一体化して信仰を得せしむることを得るならば、斯る疑はしき論説を用いずとも、容易に信仰を得せしむる事を得れど、事実を伴はざる空論なるが故に、疑問を抱くはこれ又当然なる事なり。我、是を知るによ…

未知日記霊話集千六百四十三回  帰途案内記 NO62 然せざれば魂の緒は完全に切断せらるるものにあらず。完全に切断せられずば魂は天界に運ばるるとも其つながりの為に自由を失ふ。この事柄に対してよくよく考慮しをかずば第二の任務に従ふことは難き故なり。念を残さざる底の修行とは正しき生死を明らめずば望みは達し難し セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記        巻の二 転界の巻  NO 62 セイキョウ貴尊 講述                       前に述べたる如く魂(こん)は念となりて残る如く世人には考へしならん。是等は心意魂魄霊の区別より指したるにて、魂(こん)は陽性にして魄は陰性なるが故に斯くは語りしなり。今語りをる心(こころ)とは即ち心意の結合したるものを云ひ、魂(たましい)とは魂(こん)と魄…

未知日記霊話集千六百四十二回  帰途案内記 NO61 世人は長き間地上に生活せんことを望みて稔りをなさしめずば、其にて長き間地上に生存すとの過誤たる考へをなすなかれ。何となれば斯ることをなし居らば未熟の果物がむしばままれて、地に落つる如き結果とならん セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記        巻の二 転界の巻  NO 61 セイキョウ貴尊 講述                       世人は長き間地上に生活せんことを望みて稔りをなさしめずば、其にて長き間地上に生存すとの過誤たる考へをなすなかれ。何となれば斯ることをなし居らば未熟の果物がむしばままれて、地に落つる如き結果とならん。手近き処にかかる教訓のある事に留意せよ。例へば一本の樹木に…

未知日記霊話集千六百四十一回  帰途案内記 NO60 汝等信仰なし居らば、神仏の加護にて不時の災害は免るると云ふが如きあさはかなる信仰にて、神仏を帰依する如き行ならば其はなさずとも可なり。斯る人に対して円海の如く、己が肉体を己自ら地中に埋めて昇天したりなど聞かされなば、その何故なるかも測り知ることは難からん。汝等に与へられたる肉体は稔り全きを得たらば、如何になるも差支なき底の信仰ならでは、正しきさとりは得られざるなり セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記        巻の二 転界の巻  NO 60 セイキョウ貴尊 講述                       汝等の宗教信者の中には信仰の度強くして日々を生活なし居りし人が、不時の災害にて死したるを見て、彼の人ほど信仰の強き人はあらざりしに、斯る死を遂ぐるは神も仏もありと云ふ如きは偽はりにして、世には神仏の加護などあるべき要なしと、罵りて信仰を捨つる如き人も少なか…

未知日記霊話集千六百四十回  帰途案内記 NO59 部室の中に横臥して近親者にとり囲まれて長き眠りにつきたる人を、正しき往生と思ふも真にあらず。刃に貫かれて死したる人を見て地獄に墜ちたる人と思ふも亦真にあらず。要は死にかたの如何に不拘、生死の明らめを完全になしたる人にあらざれば正しき往生とは云ひ難し セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記        巻の二 転界の巻  NO 59 セイキョウ貴尊 講述                       理論を知りても真実を把握するにあらざれば其は悟りにあらず。慈音欣情は理論は知る。されど真実の信は未だ具はらざる故なり。是言行未だ一致なし居らざる信なるが故なり。理論は然あるならんと云ふ言葉にかすぎず。真実を得てはじめて然あるなりと確定することを得るなり。聊…

未知日記霊話集千六百三十九回  帰途案内記 NO58 円海は天界に召し出されて出現し来りし時、己が肉体を土中に埋めて、然して魂のみ上昇し来りしと聞かさるれば、世人は如何に考ふるや。円海は自殺したりと考ふる人多かるべし。釈迦キリストその他世に聖者と言はるるものが、不時の災害に遭ひて殺害されし如く考ふる人多からん セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記        巻の二 転界の巻  NO 58 セイキョウ貴尊 講述                       信を得て魂を稔らせたる転界は其後のつとめに服さすることはいと易きに引きかへ、然らざるものの魂は捨つるの余儀なき憂もあるによって、同じ魂の緒の切れたる後にすら斯くも相違あるなり。魂の緒の切れたる後を世人は滅後と称へ居るならん。されど我等に云はしむればそは滅後…

未知日記霊話集千六百三十八回  帰途案内記 NO57 一般世人の霊魂と云ふは即ち幽霊の如きものを、霊魂と思ひ誤まり居るが故なり。さればこそ幽霊の正体見たり枯尾花なぞ語りて、霊魂の範囲をせまく小さく考へ居らば、徒らに浮住界を賑はすにすぎざらん セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記        巻の二 転界の巻  NO 57 セイキョウ貴尊 講述                       さればこの論説より考ふる時三対にて終らば、魂の力は弱はくして死後宙に迷ふの理も察せらるるならん。霊に化せられて初めて迷はず至る処に運ばるると云ふ説も亦、察するを得るならん。霊の力が魂を育ててその力を拡大するによって身心に及びて、大抵の病苦は治癒する理も亦察…

未知日記霊話集千六百三十七回  帰途案内記 NO56 魂を完全ならしむるには即ち霊を伴はずば育つものにあらず。故に霊魂一体化せしめてここにはじめて四律の法則は定まると知るべし。即ち心身魂霊の四律が一体となりて、ここに初めて人の使命は全きを得ると知るべし セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記        巻の二 転界の巻  NO 56 セイキョウ貴尊 講述                     我斯く語らば魂を完全につくりあげたる人ならば薬石を用いずとも病苦は治癒するかとの質問をなすならん。是に対して然りとは答ざるなり。例へば汝等飢餓に瀕して今や死せんとなす時、その魂が如何に大なるはたらきをなすともその肉体を満足せしむる事難からん。是には食を与へずば…

未知日記霊話集千六百三十六回  帰途案内記 NO55 徒らに百歳生くるとも其は怨むべき日月に他ならず。所謂悲しむべき境涯なるが故なり。されば其百歳の中一日にても正しき信を得たる人こそ、其一日は百歳に相当す。何となれば唯一日のさとりは永久不変の境涯に入りたる人にのみ与へられたる大なる宝なるによってなり セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記        巻の二 転界の巻  NO 55 セイキョウ貴尊 講述                       世人は命数尽きて此世を去る言葉を他界すると称し居るを聞く。よって此言葉を此巻の標題になさんと考へたれどミキョウ曰く、此言葉は香ばしからず。よって天界或は移界或は転界の三種のうち、何れかを択ばれては如何と語るによって、其うち転界を択びて是を用いたり。よってそ…

未知日記霊話集千六百三十五回  帰途案内記 NO54 魂を霊界に移してはじめて神使となるなり。所謂我等の如く神使となりて神の命ずるがままに行動をなす任務に従ふ。是即ち天界へ来るべき順路なりと知らば可なり。この経路を経ずしては天界に入るとも空しくさまやぅのみにて、長き浮住界の苦みを味ふ他何等なすべき術をも知ること難し セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記        巻の一 大序の巻  NO 54 セイキョウ貴尊 講述                       斯く語るとも世人は未だ合点なすあたはず。兎や角と迷ふならん。汝の肉体に具はりある眼は左右二個を有し居るにてはあらざるや。一方の眼(め)は肉体にむけ、一方の眼(め)は魂にむけなば、両者は眼(め)より入り来りて脳中に一つとなりて映じ来るは、是当然なりとの思ひを…

未知日記霊話集千六百三十四回  帰途案内記 NO53 神を知らずとも己に与へられたる魂を神とも仏とも思ひて、是に信頼し居らば美はしき身心の枝葉は空しからず。汝等が地上に永久その力を与ふるに至らん。是を唯我独尊と云ふなり セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記        巻の一 大序の巻  NO 53 セイキョウ貴尊 講述                       魂は空にはたらき実に働く。故に両道にまたがり居る姿は是魂なり。故に魂は低くは心と肉体にはたらき、大きくは全宇宙に通ず。所謂全宇宙に通ずるとは即ち霊に根を張り居るが故なり。よってはじめに語りし如く人魂は、霊地によつて根をふとらせよと教へしなり。ふとりたる人魂…

未知日記霊話集千六百三十三回  帰途案内記 NO52 大発明大発見と称して様々の変りたるものを世の中に現出せしむるも、みな空より生れたる智慧の現はれにてはあらざるか。汝等全宇宙のそなはりにはその大発見大発明の完成をなさしむるすべての組織あることを認識せよ セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記        巻の一 大序の巻  NO 52 心と魂の区別 セイキョウ貴尊 講述                       喜悦の心を誘導するものは魂の力なり。哀怒を誘導するものは、魂を知らざる心の現はれなりと知らば、心魂の区別は認識する事を得るならん。  心魂の区別判明したらば更に、一層深く掘り下げて考へを廻らし見よ。其魂なるものが斯くも大なるはたらきをなすと云…