未知日記霊話集千五百九十五回  帰途案内記 NO 14 此如意階の力を巧に応用せば、智慧の力の増大すると云ふ理由も察せらるるならん。我、自在論に於て語りたる自問自答の方法もみなこの理を応用したる故なり。打てば響く如く問へば答ふるは如意階の姿なり。この姿がそのままに人身にうつされある以上、自問自答の力すぐれたることは練磨によりて如何にとも、拡大せらるることも亦察するを得ん セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の一
大序の巻 
NO 14
セイキョウ貴尊 講述

                    
 光明論に於て(シュ)の門を再読し見よ。如意階とは即ち(シュ)の門に匹敵するが故なり。(チ)の門は因果論に於て既にミキョウは語りたれば世人はすでに推知なし居るならん。故に我はこれを省略して(シュ)の門より語ることとせん。もとより是等の説明は言葉にては云ひ現はし難き種々様々深き意味を有するによって、その一々に対し説明せざれば認識することを得ざるなり。例へば(チ)の門を無始終霊子と見なすならば(シュ)の門は絶対無より無に及ぶ関係ありとして説明する他なし。例へば(チ)を種子と見なすならば(シュ)は双葉を 出ださんが為に分解作用ををこす底の如く見なすも可ならん。又(チ)を静と見るならば(シュ)は静と動とをつなぐはたらきを指すと見るもよし。所謂無より有を作る源なりとも考へらるるなり。故に是に何か聊かのものにてもはたらきを見するならば、忽ちはたらきに化す。又打てば忽ち響く。恰も楽器のそれの如く触るれば音を発し、触れざれば静となる如き関係と知らば可ならん。この大自然の法則はすべての有形無形を問はず通じ居るによって、其が人身にも及び居ることを承知せられたし。人体のはたらきあるも皆この如意階の恵によって生を保ち居ることは、この説明によっても察するを得るならん。打たるれば痛みを覚え或は虫に刺さるれば痒みを感ずるも等もみな、如意階の原則によって現はれ居るなり。この力なくんば肉体ありとも即ち木石にて作りたる人形と異なることなきなり。斯く語り来る時世人はほぼ凡ての事柄に対して思ひあたる事多からん。眠り居りて夢を結ぶも亦種々様々の想像をたくましぅするも皆、如意階の法則より推理せば明らかにうなづくところありと思ふなり。
 此如意階の力を巧に応用せば、智慧の力の増大すると云ふ理由も察せらるるならん。我、自在論に於て語りたる自問自答の方法もみなこの理を応用したる故なり。打てば響く如く問へば答ふるは如意階の姿なり。この姿がそのままに人身にうつされある以上、自問自答の力すぐれたることは練磨によりて如何にとも、拡大せらるることも亦察するを得ん。

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