未知日記霊話集千六百十二回  帰途案内記 NO 32 何となれば光明うすきが故に汚れは附着す。信仰の度強ければ汚さるるものにあらず。故に欺かるることはあらざるなり。欺かれざる底に迄、信仰の力をたかむるにあらざれば、正しき信仰とはならざるなり。信仰には智慧を伴ふ故に、智慧あるが故に欺かるるものにあらず。又汚さるるものにもあらざるなり。信仰をたかむれば、智慧もたかまる セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の一
大序の巻 
NO 32

イキョウ貴尊 講述
                    
 又信仰と云ふことに対して、他人の信仰を傷くることなかれと教へしも、汝らの考へと我の考へとには相違あり。他人の信仰を傷けて己の信仰に化せしめんとする如きは、是疑ひと云ふ汚れを多くせしめて、信仰と云ふものに汚れを与ふるが故に、他人の信仰は傷つくることなかれと説きたるなり。是によっても信仰の意味は察せられるならん。又信仰は終始なく具はりあるが故に、他より種々様々のことを聞かされて然あるかと考ふる力も、無言詞信仰の一部が現はれ居るが故なりと頷く所あらん。善悪正邪悉く信仰によって分度定まる。是等も信仰の力なり。故に疑はざる底の信仰は清浄無垢にして正しきはたらきをなす。疑ひを含む信仰は汚れあるが故に力はうすし。さればこそテッシン貴尊は「欺かるるとも信ぜよ。欺く者は汚れなり。欺かるるものは汚れなければ罪なし」と仰せられたるにてはあらざるか。我もその言葉は用いたりと記憶す。欺かるるとも信ぜよ。信じて欺かるるともそは愚にはあらざるなり。さりながら欺かるる底の信仰は未だ赫々たる信仰の光明は輝かざるなり。何となれば光明うすきが故に汚れは附着す。信仰の度強ければ汚さるるものにあらず。故に欺かるることはあらざるなり。欺かれざる底に迄、信仰の力をたかむるにあらざれば、正しき信仰とはならざるなり。信仰には智慧を伴ふ故に、智慧あるが故に欺かるるものにあらず。又汚さるるものにもあらざるなり。信仰をたかむれば、智慧もたかまる。智慧と信仰は同一性のものなればなり。智慧即信仰、信仰即智慧にあらず。信仰と智慧は一体化して、はじめて真の信仰ともなり又智慧とも化す。故に是等は無言詞絶対として大なるはたらきをなすと知らば可ならん。我、平易なる言葉もて汝等に語らんと約しながら次第に言葉が複雑化して、却て汝等の意中に障碍を与へ居ることに心づけど、是には些か我等に考へありてのことなれば、其約にそむきたることを許して更に一層深くせんことを望む。

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