未知日記霊話集千六百回  帰途案内記 NO 19 今世人の宗教信仰の姿を見るに、その多くは一時のがれの信心なることによって、神仏を拝み居るにすぎず。信仰は永久ならざるべからず。一時のがれの信心は空し。現今日本には何百種の宗教現出なし居りてみな其々神仏を語り居れど、一つとして正しきものはあらざるなり。凡ては一時的にして永久のものにあらず セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の一
大序の巻 
NO 19
セイキョウ貴尊 講述

                    
 混乱せる浮住界の有様をくはしく語らば世人戦慄するならん。されど我等は宗教者にあらず。徒らに語り伝へて却て世人の心に或は魂に傷つくることを計るも詮なし。よつて詳細は語らじ。唯苦みの場所なりとのみ語るに止むべし。浮住界と如意界の間には安眠する一定の処ありて、謂はば如意界に入る休憩所とも云ふべきところあり。この所にて少時休憩して然して如意界に入る。是は長き時間にあらず。下界に於て修養修行なして直ちに如意界に到る生魂もあれば、肉体を捨てて昇りたるものこの休憩所にて暫時休息て後如意界より選魂の場所に到るも亦尠なからずあるなり。肉体そなはれる間に如意界に入りたるものは肉体滅後と雖も安眠所は直ちに通過して、如意界より更に選魂の場所に直行することを得るなり。修養したる者と修養せざる者との相違はここにありと知らば、下界に於て行じたるもの、休憩所如意界の長き時間だけ下界に於て省かるると知らば、其のみにても大なる利益とはならざるかを知らば行の大切なることも推して知ることを得ん。我等世人を導かんが為に種々様々説明をなして世人の魂をきよめんとなし居れど、世人には解する如く、又解せざる如き態度にて迷ひ居るを見て実に不憫を感じ居るものなり。今世人の宗教信仰の姿を見るに、その多くは一時のがれの信心なることによって、神仏を拝み居るにすぎず。信仰は永久ならざるべからず。一時のがれの信心は空し。現今日本には何百種の宗教現出なし居りてみな其々神仏を語り居れど、一つとして正しきものはあらざるなり。凡ては一時的にして永久のものにあらず。是等のものは学理進まば何時かは自然消滅の他なかるべし。例へば釈迦イエスの如き宗教者が語り伝へ居る神仏は慈悲なり、愛なりと説きたるに対して、その慈悲と愛より更に枝葉が伸び広がり、今日の如く何百種かの宗教が生れたるにてはあらざるか。

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