未知日記霊話集千五百九十八回  帰途案内記 NO 17 世人の中には昨日迄の人格と今日の人格が一変したる人を見るならん。是等もみな游魂の変換されたりと見て差支なし。是等の事柄をくはしく語り居らば枚挙に暇なし。故に省略す。(三世と四世論重魂のところを参照せられたし) セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の一
大序の巻 
NO 17
セイキョウ貴尊 講述

                    
 又是等の游魂を他の母胎に送るもあり、或は特に魂換するもあり、或は魂換にあらずして命数尽きたる者の魂をぬきて、是に新らしく入魂せしむるもあり、或は更に入魂せしめて一時二重魂となしをくもあるなり。これらの事柄は重魂のところに於て語りたる事柄より推理せば明らかに知ることを得るならん。
 世人の中には昨日迄の人格と今日の人格が一変したる人を見るならん。是等もみな游魂の変換されたりと見て差支なし。是等の事柄をくはしく語り居らば枚挙に暇なし。故に省略す。(三世と四世論重魂のところを参照せられたし)

 行者が法力を以て換魂なすことを得るも、如意階の原理を応用して其は一時的なれど行ひ得るもみな、如意階の流れが下界にも伝はりあるによってなりと知らば、世人の中に智慧すぐれたる人あらば学ばずとも、この法は悟り得ること難きにはあらざるなり。この原理を知り得たらば多くの人と交はるとも、この人は魂換されたる人か、或は自己の魂を育て居る人かは一見して判明することも得らるると承知せられたし。
 前書に於てミキョウが語りし瓜の蔓に茄子を実らせしと云ふことに対して、此説より何か新らしき考えへの生ぜざるか。世人は種々様々のものを栽培して品質良好なるものを作らんが為に苦心なし居ることより、この游魂変換論を推知し見よ。優秀なるものを実らせんとして様々に栽培なし居ると知らば、慈音の語る如く天国の者共は悪戯事とは思はれざるべし。斯る事をなすによって原始時代の人間との比較相違を考へ見ば進化なしたるか、或は退歩なしつつあるかは自づと察することも得らるるならん。

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