感応論 第四巻 留意留魄について その1 テツシン貴尊講義 2020.12.23 遊魂帰魂に依て魂は磨かるれど、魄は内を守り居りて何によりて磨かるるやとの疑問を生ずるに到らん。汝等ここに至って何か思ひあたる事なきや。ごく簡単明瞭なる譬喩あるにあらずや。即ち夫が立身出世せば妻も亦位置を高むると云ふ実例に見るも明白にして、魂魄も是と同様の関係となる。又是と反対に油すくなければ灯…
感応論 第四巻 遊魂と帰魂の関係 テツシン貴尊講義 2020.12.22 汝等体験せし一例に、汝等が家庭に悩みあれば、何も知らざる召使迄が沈みがちとなる事のあるを見るならん。是思ひが通ずると思ふならんもそは然らず。家庭の一般の魂(こん)は内面化して魄に征きたる為、霊気起りて召使達の霊気と通ふ故なり。世に神経性病は感染すると云へる意味と混同なす勿れ。是は魂の現れにして霊気にあら…
感応論 第四巻 遊魂と帰魂の関係 テツシン貴尊講義 2020.12.22 テツシン貴尊講義 その1 放心帰心の方法はともかく概要は会得せしならん。されば遊魂帰魂の関係についてその原理を進めん。放心帰心は魂魄の現はれなるは既に説きたり。然して魂魄は霊に育てられし事もあはせ説きたり。ここに掲げし魂魄と云ふは、放魂の意味も含まれある事を知りおくべし。遊魂とは何処に遊びに行くや。親の眼を…
感応論 第四巻 霊に対する気光素との関係 テツシン貴尊講義2020.12.20 外観と内観について 人は果実を得んとて樹木を育て、樹木は育てられたる人の使命に応じて結実して是に報ゆ。人は神に造られて何を返納するやについて、汝等は考へし事ありや。若し考へし事ありと云ふならばそは何を返納すべきかと我は詰問す。汝等は云ふならん。我等が神より受けし使命を果さばよしと。然らば重ねて問は…
感応論 第四巻 霊に対する気光素との関係 テツシン貴尊講義 2020.12.19 ここに至りて汝等は又迷ひの感にせめらるるならん。そは霊は肉体の全身を飽和しあるとせば、気光素と同様にして、何れを霊となし何れを気光素と考ふべきかと迷ふならん。是を一言にて答ふるならば、即ち地球の空間は気光素にして、空間諸共飽和せるは霊なりと云ふことを得るなり。然れども霊と気光素についての解…
感応論 第四巻 行けば帰れるか テツシン貴尊講義2020.12.17 兎角肉体を有する人間は肉体に囚はれて働くを好まざれど、天界には斯る憂ひなきなり。霊界は却て働きを娯しむ。さればこそ徳は益々加はりて進むなり。我、汝等に斯る事を語るは余の義にあらず。放心帰心など汝等が住む世界のみの業なれば敢て学ぶには足らざるなり。されど肉体を有する間に学びおかざれば、霊界に移されたる時、最低の…
感応論 第四巻 行けば帰れるか テツシン貴尊講義2020.12.17 行くに道あれば帰るにも亦道なかるべからず。汝等、「一人来てひとり帰るも迷ひなり。来らず去らぬ道を教へん」と云へる歌を聞きて、その心を悟ることを得るや。然らずば我教へん。此句は深き意味あるにあらず。一人来て一人帰ると思ふは迷ひ誤にして決してひとり来るにあらず。故に来らず去らずと云いしなり。一人ならば道を案内する…
感応論 第四巻 応心法とは如何なることを云ふや テツシン貴尊講義 2020.12.17 汝の声はこだまとなりて汝に帰る。汝の犯せし罪は報いとなりて汝にかへる。されど死に行きてかへらぬは汝の姿なるべし。今の世は科学の力進みて声と姿は機械に写して残れど、そは真の汝に似て汝にはあらざるなり。是を思ひ是を考ふる時、汝等は俄かに淋しさを感ぜざるか。若し汝等にして淋しさを感ずるならば、未だ…
感応論 第四巻 応心法とは如何なることを云ふや テツシン尊講義 2020.12.16 応心或は一名帰魂とは如何なる事を指すやと云ふに応心・・・・⇒ 心に応ずとあるは単に心にあらずして魂魄に応じてとの意味なり。帰魂も亦心にかへる。魂にかへるの意味にして仏教には放心を応蘇、行きて生れると云ひ、帰魂は現蘇生れかへると称し居るなり。さりながら我の語る処はその意味仏教とは全く異な…
感応論 第四巻 応心の巻、一名帰魂の巻 テツシン貴尊講義 2020.12.15 「春は去って春はかへり、花は開きて又開らく。人は散りて再び開かず。水は行きて水はかへる。されど人は行きて人はかへらず。却て悲しきは思い出ぞかし」と。誰かの詠みしを聞けり。是無常観を誘はしめんとてか。行きてかへることを知らぬは弓矢弾丸なり。我是より説かんとするは弓矢弾丸にあらず。行けばかへる道をも説…
感応論 第三巻 放心の最高価値について テツシン貴尊講義 2020.12.15 放心せしむる事の理論は今迄大要語りたれど、如何なる重要なる意義に依て是をなすべきかについていささか語りおかん。人の日常生活に関してはみな其々不平不満を生ずるを以て、今迄娯しと思ひしも其に依て消滅し、又も陰惨なる気分に逆戻りすること多かるべし。聖人君子にありてすら不平ありと聞く。まして凡俗に於ておや。…
感応論 第三巻 祈りと意綱についての関係 テツシン貴尊講義 2020.12.14 祈りの業を行ふ者に祈祷師と云へる行者あり。又是等の部類にはいづな使ひなども含まれあり。近来は斯る事は見受けざるも以前は可なり盛なりき。我、是等の可否を論ずる必要なけれど、放心の事柄に対して汝等が資料となさしめんがためにいささか述べんとす。是には感応の論説に於て感応術催眠術の話もあはせ語ることもあれば…
感応論 第三巻 思ひやりと云ふ心 テツシン貴尊講義 2020.12.13 すべて思ひやりの心を生ぜしめよと云ふ言葉なり。思ひやりなき人は修養の苦労を知らざるによりてなり。思ひやりあって始めて祈らんとする心に変じ来る。祈らんとするは愛なり。思ひやりは又愛より現はるると知るべし。愛する心よりおもひやりが生じ、其が嵩じて祈りとなる。汝等すべてにおもひやる心を持たば、すべてを愛する結果と…
感応論 第三巻 祈りて効ありや その弐 テツシン貴尊講義 2020.12.13 「人、我の右の頬を打たば左をも打たしめよ」と云ふは未だ我をはなれし愛にあらず。「人、我を打つことを得ざらしむる愛に」、あらざるべからず。故に我を憎むものなきに至る迄の愛をもたざれば真の慈悲とは云ひ難し。斯く語らば汝等は云ふならん。「我等は凡俗にて神仏聖人君子にあらざれば到底斯る境涯に進むことあたはじ…
感応論 第三巻 祈りて効ありや その壱 テツシン貴尊講義 2020.12.12 強き者に勝たんとて弱き者は天祐を祈り求む。果して天の助けありと信じての祈りか。弱きが故に堪え難くして余儀なき助けを求むるや。人は叶はぬ時の神だのみと云ふならば余儀なく頼むならん。信ありて頼む人は少なし。他に加勢あらば天祐は祈らざるべし。信なき祈りは山彦のこだまに等しとは思はざるならん。恰も空家の門に…
感応論 霊は如何なる役目を有するか その弐 テツシン貴尊講義 2020.12.12 汝等日々心を労し身を労するも此根原に逆上れば即ち霊に帰す。肉体も心もみな霊あるによって働かせらるるを気附かず、肉体の変化するがまま、肉体の変化するがままにまかせ、霊を尋ね求めんとせざるが故に、我は汝等に脱穀の行くべき処を訊きたるなり。汝等は親より出でて親にかへりたり。されば汝の脱穀は何処より来り…
感応論 霊は如何なる役目を有するか その壱 テツシン貴尊講義 種は種より出でて種にかへる。四季は春より出でて春にかへる。帰らぬは光陰なり。汝は親より出でて親にかへれり。汝の脱穀は何処にかへるや。土より出でて土にかへるや。はた又肉より出でたれば肉にかへるや。汝は何処より何処に行かんと思ひ居るや。此声を聞きて今更無常を感ずる事もなからん。人界の役目を果して尚無常を感ずる底の修行ならば…
感応論 第三巻 意魄は放たれざるか テツシン貴尊講義 2020.12.011 放心法あらば放意も行はるるならんと考ふべからず。汝等が家庭に於ても家を司るは妻の務めなるべし。心魂は流水の如く意魄は湧き出づる泉の如し。故に外は心魂にまかせ、内は意魄固く是を守る。武将は我城をたしかなる臣に守備を堅固に守らしめて外敵に対ふ。然らざれば敗を招かん。心魂も堅固なる意魄の守備あるによりて安全…
感応論 放心と放魂と放念の区別とその鑑定法 その弐 テツシン貴尊講義 2020.12.11. 放心とは唯心に使ひを命じて派遣せし社員の如く、放魂は支配人に出張を命じたると同様にして、放念とはその要件について専門家を遣はしたると観察して可なり。されば此事柄に対して社員にて事足る事もあり、或は支配人にあらざれば達せざる場合もあらん。又専門家を煩はさざればならぬ事もあり。社長自ら出馬せざ…
感応論 放心と放魂と放念の区別とその鑑定法 その壱 テツシン貴尊講義 2020.12.10. 魂を放ち又心を遣り、又念を遣はしたりと云ふことについて疑問とするは、心も魂も念と云ふも同様の如く思ふ故なり。然れども決して同一のものにあらず。もとより見えざるが故に是を形の上に見ることあたはず。然れどもその力の作用によって相違あるなり。心は放たれて聞くべきを聞き、見るべきを見てそのままを報…