感応論    第四巻   行けば帰れるか    テツシン貴尊講義 2020.12.17

感応論    第四巻   行けば帰れるか    テツシン貴尊講義2020.12.17


 行くに道あれば帰るにも亦道なかるべからず。汝等、「一人来てひとり帰るも迷ひなり。来らず去らぬ道を教へん」と云へる歌を聞きて、その心を悟ることを得るや。然らずば我教へん。此句は深き意味あるにあらず。一人来て一人帰ると思ふは迷ひ誤にして決してひとり来るにあらず。故に来らず去らずと云いしなり。一人ならば道を案内する者なくんば行くに由なく又迷ふは当然なり。されば旅をなさざれば迷ふことあらじと戒めたるなり。不去不来の境地あらば迷ふこともあらざるべし。
 我の語る処はさにあらず。一人来てと思ふ心を離れしめて二人来り、或は三人来てと教ゆるなり。汝等は自分は自分、他人は他人と心得居るに依て迷ふなり。慈音は夜,聴講を許されて教主の貴説を拝聞なし居れり。此聴講者の多くは肉体を離れたる者にして下界の者にあらず。然るに貴説を拝聴するは何の為か。何の目的か。又是を聞きて何をなさんとなすなるかを汝等暫時考へ見よ。汝等が言葉にて云ふ亡者が斯る説を聞くも皆其々の使命を果さんが為の修行をなすにて、霊界に移りたりとて決して空しき遊惰に耽り居るにはあらざるなり。汝等は疲れたりと云ひては仰臥し、物見遊山に耽る時間を有せど、霊界には斯ることはあらざるなり。喰はずとも飢えず、纏はずとも寒からず。働くとも疲労なく又眠る必要もあらざればなり。慈音はミキョウに曰く
「神の語り給ふは我等の国の言葉なるは如何に?」と。ミキョウ曰く
「斯く世界より集り来れる種々の異なる言葉を、一々語り給はば限りなからん。されど教主寛大の言葉は汝が聞けば汝の言葉に聞え、他界の者が聞けばその者の言葉に通ず。是真の言葉なり。汝等の国にすら通ずると通ぜざるあれど、ここには斯る事あらず」と、説かれて、慈音は不思議と云ひたり。ミキョウ重ねて曰く
「汝、未だこの理を知らざるが故に審(あや)しむなり。神は汝の魂魄に語るにあらず。霊に語り給へるなれば霊は魂魄に言葉もて教へ居るなり。是はすべての世界の霊に通ずるに依りて悉く通ずる霊と霊との働きなり。」と 

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