感応論    第四巻   応心法とは如何なることを云ふや    テツシン貴尊講義 2020.12.17

感応論    第四巻   応心法とは如何なることを云ふや    テツシン貴尊講義 2020.12.17


 汝の声はこだまとなりて汝に帰る。汝の犯せし罪は報いとなりて汝にかへる。されど死に行きてかへらぬは汝の姿なるべし。今の世は科学の力進みて声と姿は機械に写して残れど、そは真の汝に似て汝にはあらざるなり。是を思ひ是を考ふる時、汝等は俄かに淋しさを感ぜざるか。若し汝等にして淋しさを感ずるならば、未だ放心帰心の理論を認識するあたはざるなり。放心帰心の理論を認識しなば喜びを感じて賑しく覚ゆるなり。汝等よく考へみよ。人間は珍らしき事に遭遇すれば、是を誇大に吹聴して他人を誘導する素質あるにあらずや。此事柄より推して観察せば放心帰心の法を会得せば、無上の喜びは得らるる事明白なるべし。
 放心を汝の口より発したる声と仮定せば帰心は即ち汝の耳にかへりたる山彦の如し。汝等は学校に学びて師より、試験を受けて合格したる喜びを未だ忘れざるならん。是師よりの放心に答ふる汝の帰心を以てしたる結果に他ならざるなり。汝等は人に事を依頼して其に対して報酬を支払ふも放心帰心に合ふと知るべし。放心帰心の範囲は極めて広く万般にわたれば一朝にして是を説くは難し。されど此真相と原理を体得せば万事に応用をなし得る事を得ん。汝等国を隔てし肉親知己の人と電話にてその無事を語りあふ時の喜悦、又電写機にて相互の活動ぶりを見もし又見せば膝を交へて語るにも比して楽しからん。されど是には機械を要す。若し機械の力をからずしてなし得るとせば如何ならんかを想像して見よ。そは機械にまして喜びと希望に充たされて一層の娯みを加ふるならん。放心帰心は是等も含まれあるなり。又汝等が肉親知己の人々と死別れたりとも、此世と天界との通話、通信も自由に行はるるならば、愛別離苦の悲みは等はなかるべし。是放心帰心の要訣なりと知るべし。

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