感応論    第四巻   応心法とは如何なることを云ふや    テツシン貴尊講義 2020.12.16


 感応論    第四巻   応心法とは如何なることを云ふや    テツシン尊講義    2020.12.16


 応心或は一名帰魂とは如何なる事を指すやと云ふに応心・・・・⇒ 心に応ずとあるは単に心にあらずして魂魄に応じてとの意味なり。帰魂も亦心にかへる。魂にかへるの意味にして仏教には放心を応蘇、行きて生れると云ひ、帰魂は現蘇生れかへると称し居るなり。さりながら我の語る処はその意味仏教とは全く異なれるなり。仏教の往蘇現蘇とは滅後を語れど、我の語るは生死を離れたる事柄なれば、死生には更に関係あらざるなり。汝等は今迄我の説を聞きて放心を会得したりと雖も、応心の法を知るにあらざれば、放心は完全に行はれざらんと我は思ふなり。何となれば機関車は鉄路を走るに、単線なれば事故を起して誤を生ずるおそれれども、複線とせば先ず安全に近かるべし。放心と応心は鉄路の複線に似たる関係あるによってなり。汝等平素用ゆる言葉に最高の驚きに対して魂消たとか、或ひは肝をつぶしたとか云ふならん。そは驚きの余り我が魂は天外にに飛び去りしとの大袈裟なる事を表現せるならん。所謂肉体を離れし魂ならば臨終にあらざる以上帰り来るは当然なり。即ち応心帰心とは此帰り来るを意味すると知るべし。


 このブログを最近目にした方は、このブロクは一体何を伝えようとしているかわからない人もありそうなので簡単に一筆します。
 著者であられるテツシン貴尊とはどのようなお方か。この太陽を中心とする太陽系惑星などが誕生したずっと遥か、遥か以前からこの大宇宙を神と共に造って来られた方のお一人なのです。詳しくは「覚者慈音」の第一回目からご覧ください。億や兆の年代ではありません。兆の桁数に零が更に三十も居並ぶのです。それが極の単位になります。教主寛大が申されるところによればテツシンは生を享けて何極年か経過して居るとのことです。宇宙の創造者である神から見れば何極年という時間も左程長いものではないそうです。テツシン貴尊は人類として二流界の下部にお生まれになり、現在は一流界を監督されておられます。

おそらく読者の皆さんは誰一人としてこの話をまともには信用されないでしょうね。でも教主寛大直筆の大霊界をお読みになれば少しは信じられるかもしれません。まずはご一読を・・・・・・
試しに大霊界とgoogleで検索しても出て来るのは丹波哲郎さんの大霊界ばかり、
では大霊界の後に ムラゴンといれて検索してみてください。

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