感応論    第四巻   応心の巻、一名帰魂の巻   テツシン貴尊講義 2020.12.15

感応論    第四巻   応心の巻、一名帰魂の巻    
テツシン貴尊講義 2020.12.15


 「春は去って春はかへり、花は開きて又開らく。人は散りて再び開かず。水は行きて水はかへる。されど人は行きて人はかへらず。却て悲しきは思い出ぞかし」と。誰かの詠みしを聞けり。是無常観を誘はしめんとてか。行きてかへることを知らぬは弓矢弾丸なり。我是より説かんとするは弓矢弾丸にあらず。行けばかへる道をも説かんとするなり。汝等我家を出でて、旅を重ぬとも何日かは帰るにてはあらざるか。如何に楽き旅なりとも我家に帰りてくつろげる娯しみに比ぶべきものやあらん。行く道あらば帰るべき道もあるならん。機関車に於てすら往復の鉄路あるにあらずや。人は行きて人は帰らずと云ふは死にたればなり。死しては帰らじ。帰る事を得ず。されど長生すれば行くも帰るも亦自由ならん。花は開きて又開らく。人は散りて開らかぬは何によるか。人は散ることなきを知らざるによりてならん。散らざるを散らすは罪の報なり。哀なるは人ならざる人にこそ。水は行きて水はかへる。人も行きて帰らんとせば帰るなり。来らぬ去らぬ境地は是なり。


  不去不来の境地


 来らずば去る事なく、去らざれば来る事なし。汝等は此理を知るや。我は汝等と禅の問答をなすにあらず。不去不来の境地に達せば真の世界を知るにすぎざるなり。もとを洗へば汝等は不去不来の身にてあることを悟り居らざるが故に知らざるなるべし。所謂汝等は神の使命に基きて地球にありしが使命を果して、又も他の界に転任を命じられたり。然りとせば何処にありとも神の命より離れずば、汝等は唯居をかへ位置をかへたるのみ。神より離れたるにあらざれば是即ち不去不来の境地なり。たとえば人は或る会社に勤務してたとえ何処かの支店に勤務を命ぜられて転任すとも、その会社を離れしにあらずと同様なり。されどその会社を離れて他に入社なせしならば、是不来不来とは云ひ難し。たとえ最初の会社に復すとも行きてかへりたるなればなり。
 汝等地球より出で、地球にかへるともそは本社より本社にかへりしと同様にして不去不来なり。汝等は会社の例にては未だ納得せざらん。是を家庭にて考へよ。座敷を換えても我家は我家なると同様なりと思惟せば明瞭ならん。即ち宇宙全宇宙は神の支配下に置れあればなり。然りとせば真の不去不来とは如何なるを云ふやとの疑問なるべし。汝等先づ或会社の支店を振り出しに追々その手腕を認められて本社に引き上げられ尚も進んで重役に昇進して、その会社のある限り他に移さるる事なきを真の不去不来と考へて修行せば可なり。然れども本社に引き上げられてのち慢心して業務をなほざりにして、又も元の支店に返へされしは、是は不去不来とは云はざると心得べし。精神修養に於ても同様の関係ある事を自得して一段の工夫を要す。慢心は魂魄を傷くる刃物なれば心せよ。神に召されて地球を離れ引き上げられて神の許に来り、又も地球に下されぬ用心を今より修行しおくべし。即ち本社とも云ふべき神のもとこそ不去不来の境地にして、何処へ出張を命ぜらるるともそは短期にして、恰も汝等が放心を行ふにすぎず。宇宙全宇宙を自由自在に往来する事を得る身分を許さるるなり。

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