感応論    第四巻   行けば帰れるか    テツシン貴尊講義2020.12.17

感応論    第四巻   行けば帰れるか    テツシン貴尊講義2020.12.17


 兎角肉体を有する人間は肉体に囚はれて働くを好まざれど、天界には斯る憂ひなきなり。霊界は却て働きを娯しむ。さればこそ徳は益々加はりて進むなり。我、汝等に斯る事を語るは余の義にあらず。放心帰心など汝等が住む世界のみの業なれば敢て学ぶには足らざるなり。されど肉体を有する間に学びおかざれば、霊界に移されたる時、最低の位置におかれて最初より修行せざるべからず。されば肉体を有する時代よりも尚一層の努力を要するを慮って、汝等をしてその苦をのがれしめんがためなり。放心と帰心に依て 修行を遂げたる者の位置は高きにおかれて、その後の業務もきはめて易し。
 汝等に我、語るも汝等は諒解することあたはざるは我も承知の上なり。然れどもいささか是を語りおかざれば、帰心応心の修行を如何になすべきかを知るに苦まする故なれば、暫時耳を傾けよ。
 花は開きて又開らけど、人は散りて再び開かざれば全く死したるならん。死するは弓矢弾丸の如く行きてかへるを得ざるなり。我は生くるを教ゆれども死するは教へじ。汝等散りても再び開くべし。否開らきて散ることなからしめよ。
汝等の肉体に宿れる霊に対し、汝等は五尺の身体に住みて潜在しありと考ふるによりて、汝等の修業は怠りがちとなると我は思ふ。霊は斯る不自由窮屈なる腹の底に住み居るとせば真に其力は微々たるものなり。然れば霊は何処に住み居るかを思惟せよ。汝等にして霊の存在を明らかに知り得たらば、常住坐臥修行を怠る道理なし。然れども汝等は臍下丹田に霊を潜在せしめ居ると油断なし居るなるべし。我等は汝の親に問へ、親なる霊は神の力神の存在を知るに依て、すべてを親なる霊にまかせよと説き聞かせたり。また神は汝を包みあれば、何処に行くも見守り給ふとも説きたるを思ひ出して考へ見よ。されば霊の存在は明白とならん。汝の霊は神の世界より身体内蔵等悉くに通じあるなり。故に神の世界と汝の霊は通い居ると知らば、その広大さに汝等は驚き且つ偉大なる力は、我の親なるかと感じなば歓喜せずんばあるべからずとの感を深くするならん。斯く聞かば汝等に於ても地球は太陽の栄光につながれある如く、汝等の肉体も神の霊光につながれある事に心附きたるならん。此理より観察せば行けば帰り得る事も自由なりと云ふ事も諒解したるなるべし。

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