感応論    第四巻   遊魂と帰魂の関係  その2   テツシン貴尊講義  2020.12.22

感応論    第四巻   遊魂と帰魂の関係  
テツシン貴尊講義  2020.12.22


  汝等体験せし一例に、汝等が家庭に悩みあれば、何も知らざる召使迄が沈みがちとなる事のあるを見るならん。是思ひが通ずると思ふならんもそは然らず。家庭の一般の魂(こん)は内面化して魄に征きたる為、霊気起りて召使達の霊気と通ふ故なり。世に神経性病は感染すると云へる意味と混同なす勿れ。是は魂の現れにして霊気にあらざればなり。是霊気の現はるる体験を基として心意魂魄の融和を計る工夫も考慮に入れおくべし。魂魄を融和せしめずば魂は自由に遊魂帰魂をなすあたはず。機関車は鉄路の往復を重ぬれば動揺と摩擦によって破損すれども、魂は霊気を往復する毎に磨かれ洗はれて其光を増すなり。汝等は白痴は聖人に近しと云ふ比喩を知るならん。もとより肉体の病気より生じたる白痴を云ひたるにあらじ。無教育の白痴を指せる事は当然なり。
 白痴は魂を平素自由ならしめて縛ることなく、なすがままに委せ居るが故に、人界の踏む道に縛ばられ居る者の眼より見れば、愚者よとて軽視すれど、時によりては驚くべき智慧の現はるる事あるは、即ち霊気の働きあればなり。白痴は魂魄を一になすことを得れども、人間性の徳をつむあたはざるによりて、一見人間性を失へる如きも霊気は自ら受し神の恵を具備へ居るなり。修行なせし者が此境地に到達なさば真の聖者となるなり。

 放心帰心は心(しん)のみの働きなれども、游魂帰魂は心と共に往来するなれば、その働く力も優れたるは云ふ迄もなし。加ふるに魂には心魂一体なるによって、霊気にも動じ加はりて其働きを補佐するを以て不可思議の力を現はす。心のみにては霊気の力は保護を加ふる程度なれども、魂に至っては心魂二つに通ずるを以てかくも偉大の働きとなる。然らば魂は何故にかくも霊に重ぜらるるかは今更ここに説く必要もなかるべし。遊魂せば帰魂せざるるべからず。されば遊魂帰魂は表裏一体なる事も知り得べきならん。小児時代に既に遊魂帰魂の法を練磨し居れるに不拘、未だ心附かざるや。そは手毬遊びなり。まりは手より離れて又手に返る。されど放ち方を誤ればまりは他に転じて汚損するにあらずや。是等を小児時代に学びて唯遊戯とのみ思ひて忘れ居るも哀れなり。

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