感応論    第四巻   游魂と帰魂の関係  その1   テツシン貴尊講義  2020.12.21




感応論    第四巻 遊魂と帰魂の関係  テツシン貴尊講義  2020.12.22
テツシン貴尊講義   その1


 放心帰心の方法はともかく概要は会得せしならん。されば遊魂帰魂の関係についてその原理を進めん。放心帰心は魂魄の現はれなるは既に説きたり。然して魂魄は霊に育てられし事もあはせ説きたり。ここに掲げし魂魄と云ふは、放魂の意味も含まれある事を知りおくべし。遊魂とは何処に遊びに行くや。親の眼をかすめて戸外に遊ぶ小児の如きか。親の宝をかすめて遊蕩する放蕩息子の如くに考ふるや。修行なき魂魄ならば斯る憂ひもあらん。然し今日の魂は斯る憂ひは更に無し。されば如何なる処に遊ばんとなすや。是を汝等の心にまかせん云ひたけれど、汝等は途方に暮るるならん。遊魂と云ふは唯遊ぶの意にあらず。汝等の遊ぶは痴遊を連想するならん。魂の遊ぶは行を喜びて励む遊びにて、修行を汝等の痴遊と同様に思ふ所謂道楽、道を楽しむ遊びを云ふなり。死後の不安を感ずればこそ人は生に苦むなり。不安を感ぜずとも感ずとも滅する時節到来せば必滅はまぬがれじ。されば游魂の如く、すべては遊びなり心得なばすべては楽し。即ち遊生遊死の境涯に変らば苦は去りて楽となる。汝等も速かに此境地を味はひ得る人となりて、日々の業を遊びに変らしめよ。心を働かせず魂を働かす修行を楽み怠らず工夫する事なり。遊魂帰魂の行をなさんとする輩、深くこの行に遊ぶの思ひを貯へて修すれば、その成功の早きよりも長ければ、長き楽みを味はひ得る喜びとなるならん。人は貧しくして長者にならんと努力して望を達すれば、却て平凡なりと思ひ楽しかりしはその経路なるべし。

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