感応論   意魄は放たれざるか  テツシン貴尊講義 2020.12.11

感応論   第三巻   意魄は放たれざるか    テツシン貴尊講義  2020.12.011


 放心法あらば放意も行はるるならんと考ふべからず。汝等が家庭に於ても家を司るは妻の務めなるべし。心魂は流水の如く意魄は湧き出づる泉の如し。故に外は心魂にまかせ、内は意魄固く是を守る。武将は我城をたしかなる臣に守備を堅固に守らしめて外敵に対ふ。然らざれば敗を招かん。心魂も堅固なる意魄の守備あるによりて安全に外交にあたることを得るなり。依て意魄は殊更思慮を深くして留守を守らざるべからず。されば心魂は意魄の力ありて始めて目的を達す。放心の法を行いて出でたるに気附かぬは意魄の残り居れる故なることも知らるるならん。汝等に於て此法を知り得て解せざる時、何となく判明せる返答ありたれば、思ひあたることに遭遇することあるならん。練磨に練磨重ねたる行者ならば、人と談話しながら今汝に来る人あり、早く帰るべしと教ゆるを見るなり。然ながら是等の模写的出鱈目をなす奸者もあれば注意せざれば奸策に陥る憂ひあり。斯る事は心意魂魄完全に一体ならざればなし得べきにあらず。然るを出鱈目を弄する輩は斯る事を知らずして迷信盲信をたくましぅして尤もらしく放言なし、万一的中するあらば神通力を得たるが如く高慢の鼻をうごめかす始末に艱難なる輩なり。無神経無感覚ならば知らず、身をひねりて痛みを感ずる人ならばなしてならずと云ふ事はあらじ。汝等は法を用ゆれば身心に特殊の変化ありと感じ居るがために達し居るを知らずして、行ふもならざる如く考ふれど事実は然らずして達し居るなり。されば是をたゆまず行はば自ら会得するに至らん。意魄は平素身を守り居るを以て心魂の報告を霊に伝へ、心意魂魄霊の五気に依て其についての処置にあたる。故に完全なる判断は下さるるなり。汝等よく体験するならん。そは他人と雑談中先方が改まれば我も亦改まる。是は前にも語りたる如く心意と魂魄の交替したるにて、是放心と同様なることに気附くべし。心意を押し込めて魂魄を現はせるこの態度の経験を忘れずば、是を標準にして押し込めし心を外に出ださば、放心は行はれてあるなり。兎に角親は我児を門外に遊び遣る心持にて練習すれば可なり。意魄は常に身体よりはなれじ。箱入り娘の如しと思ふも差支なからん。

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