感応論   第三巻   放心と放魂と放念の区別及びその鑑別法について    テツシン貴尊講義  2020.12.10

感応論   放心と放魂と放念の区別とその鑑定法 その壱  テツシン貴尊講義    2020.12.10.


 魂を放ち又心を遣り、又念を遣はしたりと云ふことについて疑問とするは、心も魂も念と云ふも同様の如く思ふ故なり。然れども決して同一のものにあらず。もとより見えざるが故に是を形の上に見ることあたはず。然れどもその力の作用によって相違あるなり。心は放たれて聞くべきを聞き、見るべきを見てそのままを報告し、又その要件を命ぜらるるままに行ふ。然してその位置限度あるなり。此限度たるや他なし。今迄の心ならばたとひ迷はさるる事多けれども、三気一体となりたる心の働きには、その憂ひなければ、三気に従って己が分限を越ゆる事あらざればなり。魂に於ても亦然り。されど魂は己が有する分野は心に比して、その範囲も極めて広く、且つその重責も亦重ければ、心とは格段の相違あるを以て働く力に於ても甚だ強し。例えば心を会社の社員となさば、魂は即ちその支配人の意味にあたると同様と知るべし。又心は工場の職工となさば魂は工場長にして、念はその技師と見るも然るべし。念は一種の凝固にして思ひを凝らせば念となると知るべし。魂心凝って念となる。然れども従来汝等が修養の足らざりし昔の念は、悪念邪念妄念執念怨念に化せられて苦患を生じたれど、修養つみたる今日に於て、心魂を凝らしたりと雖も如何でか斯る憂ひある事なし。此念力は偉大なる善行となりて心魂を益する働きをなす。是即ち心魂念三気一体なるに依てなり。三つが一つとなりて働くにより使命は果さるれど、空間の妨げは除去するは難し。是は前にも語りし如く魂心のみの働きなればなり。放心法によりてのみにては此境涯はまぬがれじ。されば完全無欠の方法ありやとの質問に対しては講を追って語るべし。

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