感応論   第三巻   放心の原理その2   テツシン貴尊講義  2020.12.10

感応論   第三巻   放心の原理その2   テツシン貴尊講義  2020.12.10


          無形の眼、無形の耳


 肉体の眼、肉体の耳は光あるに依て見、且つ聞くを得。然るに心は空にして斯る機械を有せずして見聞を広くす。肉体の到底及ばざる処を見、且つ聞き得ざる言葉も聞き得るなりと云はば、不思議の眼、不思議の耳よと思ふならん。是ぞ汝等には未だ肉体に囚はれあるに依て不思議と思ふなり。汝等が国には庚申(こうしん)と云へる神を祀りあり。その申を見よ。眼を押へたるもの、耳をふさぎたるもの、口に手をおきたるものあるを知るならん。人は是を見て、みざる、きかざる、言はざるとかいましめ居れど、我には然とは解せざるなり。肉体の眼耳口によらずして、正しき心ならば神は見聞き語り給ふとの教へと、今一つ肉体の眼耳口をふさぎて神眼神耳神口を開けよとの教へを織り交ぜたる訓戒なるべし。又斯くあらしめたきものと我は願ふなり。何となれば肉眼は秘するあり。神眼は斯る憂ひなし。肉耳は聾するあり。神耳には斯る憂ひなし。肉口には言葉のために却て害ある事の誤あるのみならず、声帯破損すれば唖者となる憂ひも生ぜん。されど神口は薬言を与ふれども、毒言を用ゆる事なく無声にして有声なるが故に我に啞となる恐れなし。汝等是等を深く念頭におきて修養せよ。
 汝等と雖も何時如何なる災禍ありて慈音の如く盲者とならんも計られず。、又聾者とならんも知れじ。或は病みて言語を発する事あたはざるなきにもあらざれば、早く神眼神耳神口を開きて霊光と自由に相互往来の楽みを得ん事に努べし。
 さて論旨をもとに返へさん。もとより心意魂魄は空なり。されば放心とは空を往来する方法なるは汝等も既に会得せしならん。空間に距離なしと汝等も口にし居る如く、何等の障碍なしと考へなば法を修するに誤を来さん。空間に距離なしと思ふは然り。されど障碍なしと考ふるべからず。何となれば空間には様々の変化あればなり。空間には様々の霊気ありて心の使命を語るともあたはざる事多し。是等の障碍は予(あらかじ)め心得おきて修練せざるべからず。放送局が電波を送りて他の電波に妨げられ、或は空中の障碍に妨げられ中止するに異ならず。放心を妨げらるる時は、要領を得られざるはもとより、ややもすればあやまてる報告をなす事さへあるなり。此時あやまれる報道か或は正しき報道かは霊に依って判定は下さるるを以て明瞭となる。心は唯見たるままを報ずるのみ。汝等電気のすべてを考へなば無形の眼とは光体を云ひ、真の耳とは即ち気体なる事の意味は知れるならん。然して気光素は電気の働きより推理せばその力も計り知ることを得ん。一方機械薬品より生じ、一方は肉体の機械と心意魂魄より生ずる現象にして、あはせ観察すれば概要は従って明瞭とならん。然してその見えかた及び聞こえかたの肉眼肉耳と異なれる事をも従って分明となると我は信ず。又心は気光素によって往来し、気光素は心の従者ともなり、且つ兄弟の如くにも通じて共に報道なすことに、従って思ひをめぐらす事に至るべきなり。屡々述ぶる如く気光素は心にも意にも現はるる故なり。放心法の行はれたる時、心の眼心の耳にて見聞したる事柄は、無形のうちにて霊に進言せらる。此理も暗示と同様なり。

×

非ログインユーザーとして返信する