未知日記霊話集未知日記霊話集 第千二百九十八回 絶対界 巻の三 絶対界 第二講 大自然と小自然の関係 諸子は盲人なり。我等は手引きの役目を命ぜられたるにすぎず。されば我等の手にすがりて歩みを続けよ。 我等は決して諸子を転落の方向にむくるものにあらず。是大自然の道そなはりあるが故なり。 生れて死すと云ふが如き小自然の中に含まれたる中途自然にふみ迷ひ居りては、何日か大自然のふところに抱かるる時節来るべき テツシン貴尊講義

ヒロさんの転記したものをここに掲載しています 絶対界 第二講 大自然と小自然の関係             テツシン貴尊講義  空より空を追ひ求むればはてしなし。 はてしなき所を盲目的に歩み居らば、転落するは当然なるべし。諸子は盲人なり。我等は手引きの役目を命ぜられたるにすぎず。されば我等の手にすがりて歩みを続けよ。 我等は決して諸子を転落の方向にむくるものにあらず。是大自然の道そなはりあるが故…

未知日記霊話集未知日記霊話集 第千二百九十八回 絶対界 巻の三 絶対界 第二講 不変性絶対と変化性絶対との関係 自然と云ふ言葉に於ても全宇宙の自然とは、その意味大に異なる点少なからず。よって太陽系宇宙を仮に小自然と名づけ、全宇宙を大自然と名づけて説明せんとなし居るなり。其心して聴れんことを望む もし神にして形ありと想像するならば、神の姿を作りたるものは、更に何ものかと云ふ点に迄、追究せざれば真の自然を知ること難し。是等の事柄に関しては教主の説き給ふ説をききて導きを受けよ テツシン貴尊講義

ヒロさんの転記したものをここに掲載しています 絶対界 第二講 大自然と小自然の関係  第二講 大自然と小自然の関係            テツシン貴尊講義  前講の法則より自然と云ふものの理を探り求めざるべからず。第二講目に掲げたる大自然と、小自然と名づけしは他ならず。 全宇宙を大自然として研究する時、太陽系宇宙は小自然とみなして考究するの要あるなり。別段大小の区別の必要なけれど、兎に角不変性絶…

未知日記霊話集未知日記霊話集 第千二百九十七回 絶対界 巻の三 絶対界 第一講 不変性絶対と変化性絶対との関係 其以上の研究は神となるにあらざればなすこと難し。教主と雖も其以上は語り給はざるべし。又語らずともその処迄認識する力備はらば、其にて天界のすべては明らかに知ることを得、又自由自在に往行することを得るによって、安楽境は求め得られて永久不変の居に、置るることは疑いなきなり テツシン貴尊講義

ヒロさんの転記したものをここに掲載しています 絶対界 第一講 不変性絶対と変化性絶対との関係 第一講 不変性絶対と変化性絶対との関係             テツシン貴尊講義  斯るまぎらはしき方面に諸子の心を引き入るるも、すべては空のはたらきなり。変化性絶対も不変性絶対に包和せられあるが故に、変化性絶対が現出せられ居るなり。変化性絶対は既に空の中に存在する、空の実在なり。故に空の相対も帰すると…

未知日記霊話集未知日記霊話集 第千二百九十六回 絶対界 巻の三 絶対界 第一講 不変性絶対と変化性絶対との関係 何処迄追究すとも言葉によって定めがたき絶対に迄至らしめずば、確定絶対とはならざるべし。もし絶対に於て確定なしたる絶対を得るならば、無始終絶対に迄至らしむるにあらざれば得ること難し。 故に無始終界こそ真の絶対界なりと語るの他、言葉にて云ひ現はすこと難からん テツシン貴尊講義

ヒロさんの転記したものをここに掲載しています 絶対界 第一講 不変性絶対と変化性絶対との関係 第一講 不変性絶対と変化性絶対との関係                        テツシン貴尊講義  諸子が現在用い居る易学の理論として、大極別れて両儀、別れて四象、別れて八卦、別れて何々と語り居れど、是逆に返せば大極に返る。其大極を絶対と思ふならん。是を我等に云はしむればその大極は、即ち変化絶対に…

未知日記霊話集未知日記霊話集 第千二百九十六回 絶対界 巻の三 絶対界 第一講 不変性絶対と変化性絶対との関係 手を打ちて唯声を発したるのみにて、何等の謝辞を述ふることもあたはざりしなり。 この境地こそ即ち真の絶対境と云ふなり。 諸子はこの理を知るや。汲めども汲めども尽きざる泉こそ実在の絶対なるべし。汲めども汲めども測り知れざる知慧こそ空の絶対なるべし。 テツシン貴尊講義

ヒロさんの転記したものをここに掲載しています 絶対界 第一講 不変性絶対と変化性絶対との関係 第一講 不変性絶対と変化性絶対との関係                        テツシン貴尊講義  成人聖者に問ふて曰く、絶対とは如何と。聖者庭の池水を指示して、絶対とは此池を指しその中に有する水も絶対なりと。 彼又訊ねて曰く、されば相対とは如何なるを云ふか。聖者曰く、池も相対にして水も相対なりと…

未知日記霊話集未知日記霊話集 第千二百九十五回 絶対界 巻の三  絶対界とは如何なるところか 現在の学問は相対性絶対を語り居るにすぎずして、真の絶対を明らかになし居る学問にはあらざるなり。故に無より無を追ふて追究せられなば、語ることを得ざるならん。有に於ても同様の関係となるなり。有無に関してすら、是を絶対化せしめて語ることを得ざる学問にて、到底真の絶対を語ること難からん テツシン貴尊講義

ヒロさんの転記したものをここに掲載しています 絶対界 巻の三  絶対界とは如何なるところか              テツシン貴尊講義                                          然るに諸子は未だ相対信仰より度脱しあらねば、その意味は察すること難からん。 こだま会の中にて慈音のみが教へを受けざりしは何故ぞ。慈音に聞かすの要なければ泰岳は彼の耳をふさぎたるなり…

未知日記霊話集未知日記霊話集 第千二百九十四回 絶対界 巻の三  絶対界とは如何なるところか 五月 (昭和二十五年) 二十七日のこだま会に於て泰岳が諸子に教へたる呪(まじない)に対して、此呪(まじない)の何なるかを絶対信仰より見るならば、その尊き教へに感謝するならん テツシン貴尊講義

ヒロさんの転記したものをここに掲載しています 絶対界 巻の三  絶対界とは如何なるところか                          テツシン貴尊講義  絶対界に生れて絶対界に帰る。 もし其が中途にて絶滅するものならば望を達したりとは云ひ難し。 先にも語りし汝は永久汝なりとの説より是を考察する時、絶対界より絶対界にかへるは是その言葉に匹敵す。されど汝に出でて他の彼に変化せば、其は中途挫折…

未知日記霊話集未知日記霊話集 第千二百九十四回 絶対界 第十章 霊気と霊気の交はりに就いて 蛇の術とか、蝦蟇の術とか云へる事柄は、霊気の研究には面白き意味を有するものにて、是を唯迷信妄信として、放棄するは至らざるが故なり。敢て愚説として顧ざる人の方が、却て愚人なるべし。猫は鼠をとる。その態度より霊気の研究は得らるる筈なり。 又蛇が鼠を或は蛙を狙ふ態度など、又蝦蟇が空とぶ虫を吸ひ入るる様などより、引力圧力の研究の材料は得らるる筈なり テツシン貴尊講義

ヒロさんの転記したものをここに掲載しています 絶対界 第十章 霊気と霊気の交はりに就いて            テツシン貴尊講義  全宇宙より更に宇宙と組織されて、その宇宙の中の一部に作り出されたる汝等が世界と雖も、根は一つにして、たとえ形状の異なりありと雖も、大体の骨組はすべて一つの原理よりその流れを有するによって、小動物に至る迄みな全宇宙の素質に依って現はされたるものなれば、是を根に返せば、…

未知日記霊話集未知日記霊話集 第千二百九十三回 絶対界 第十章 霊気と霊気の交はりに就いて 一枚の木の葉を仔細に観察し見よ。必らず同種のものはあらざるべし。一見同じものに見ゆれど、其を仔細に検討すれば、同じものは一としてあらざるなり。枝より幹に幹より根にかヘせば、如何なる関係となるや。諸子は此点に着目して己が修養の資料とせられんことを テツシン貴尊講義

ヒロさんの転記したものをここに掲載しています 絶対界 第十章 霊気と霊気の交はりに就いて              テツシン貴尊講義  好むと好まざるは和合するものにあらず。是を縁なしと云ふなり。縁なき衆生は度し難しと仏書に認めあるはこの理なるべし。故に己の欲する方向に心をむけ居らば、是に対してその好むものと同化するものの来りて結合するは、縁の一大事にしてここに新らしき道のあることに心せよ。 諸…

未知日記霊話集未知日記霊話集 第千二百九十三回 絶対界 第十章 霊気と霊気の交はりに就いて ここに一言注意することあり。 この十章に対して文字のあやまり或は書損等のあるところは改むることは苦しからず。されど文意を彼是批判して筆を加へて添削すること勿れ。是はかたく止めをく テツシン貴尊講義

ヒロさんの転記したものをここに掲載しています 絶対界 第十章 霊気と霊気の交はりに就いて            テツシン貴尊講義  されど是は方便にして帰するところは、自己の魂を発見する方便にすぎざるなり。信の力すぐるれば自己の魂が稔りを全うすることの理は、かくの如き関係となると知らば更に新らしき道を構じて、其によって自己の個性を発見せば、神を求め仏を願ふの要もなからん。 例へば我に信じらるる事…

未知日記霊話集未知日記霊話集 第千二百九十二回 絶対界 第十章 霊気と霊気の交はりに就いて 実を捨てて空となすべきか。空を取り入れて実になすべきかの法を先づ考究せよ。 法は何れを択ぶも可なり。 諸子はなし易き法を択ぶべし。 所謂仏教に云ふ自力他力の法によって考究せば可ならん テツシン貴尊講義

ヒロさんの転記したものをここに掲載しています 絶対界 第十章 霊気と霊気の交はりに就いて            テツシン貴尊講義  霊気と霊気の化合は先づ諸子の世界にて譬喩をひくならば、空気の其として教ゆるの他なし。諸子はこれによって霊気の交はりが縁によってつながれあることに気づくならん。然して縁とは如何なるものかの理も朧気ながら解することを得るならんと思ふが如何? 決してこじつけの理論にはあら…

未知日記霊話集未知日記霊話集 第千二百九十一回 絶対界 第十章 霊気と霊気の交はりに就いて 心眼霊眼にて見るならば、線ともなり面ともなり体ともなり居る事は是を知ること易からん。 大自然の縁とはかくの如き程度迄考へを廻らすにあらざれば認識すること難し。空気が大自然の姿なるによって、その自然より地球より草木に至る迄すべてはその縁によって作り出されたりとせば、縁のつながりは草木に迄及ぶと云ふ事の理は明らめらるる筈なり。 テツシン貴尊講義

ヒロさんの転記したものをここに掲載しています 絶対界 第十章 霊気と霊気の交はりに就いて            テツシン貴尊講義  全宇宙の成立を枝葉に渡って考察せんとならば、如何に知慧ありとも如何に学問ありとも、到底計り知ることあたはず。されど是等と雖も人体の構造より考ふれば大同小異なるが故に、その大体の事柄の理を究め得ること難きにあらず。 全宇宙の組織も人体の組織も帰するところは同一の関係に…

未知日記霊話集未知日記霊話集 第千二百九十回 絶対界 第十章 霊気と霊気の交はりに就いて 信仰と云へば神にのみ、或は仏にのみ囚はれ居りては、其は真の信仰とは云はれざるなり。神を信じたりとて、その力を己に受けずば何の益にもならざるなり。 神を己にひき入れて、然してその徳に浴するにあらざれば真の信とは云はれざるなり テツシン貴尊講義

ヒロさんの転記したものをここに掲載しています 絶対界 第十章 霊気と霊気の交はりに就いて            テツシン貴尊講義  此事柄より広く考察せば信仰とは神のみに限らず。すべての有益なるものならば引き入れて差支なからん。神ばかりが入り来りたりとて他のものを引き入るる知慧なければその信仰は空し。此理も合点することを得るや。我等先に語りし如く悪人の言葉と云へども善言なれば信ずべしと。又小児と…

未知日記霊話集未知日記霊話集 第千二百八十九回 絶対界 第十章 霊気と霊気の交はりに就いて 親子兄弟の関係は即ち筋肉の筋に相当すと思はばうなづくところあるならん。是等はすべて教主の教へをまつべし テツシン貴尊講義

ヒロさんの転記したものをここに掲載しています 絶対界 第十章 霊気と霊気の交はりに就いて            テツシン貴尊講義  諸子の語り居る言葉に有縁無縁と云ふことあらん。有縁とは融和性にして、無縁とは分解性なりと知らば可なり。例へば紙上に一線を引く。 是が融和性なるによって線となりて現はるれど、その線がもし分解性ならば線としての存在は認ること難し。此理は諸子もよく知るならん。一本の鉛筆に…

未知日記霊話集未知日記霊話集 第千二百八十八回 絶対界 第十章 霊気と霊気の交はりに就いて 我等の導きは唯諸子をして、 天界の姿を知らしめんがために語り居るに他ならねば、宗教者と同一の思ひにて此書を見る勿れと注意しおくべし。 テツシン貴尊講義

ヒロさんの転記したものをここに掲載しています 絶対界 第十章 霊気と霊気の交はりに就いて            テツシン貴尊講義  諸子は神仏の下僕にして、神仏の命に従ひて凡てに務めをなし居ると云ふ考へにて、行じ居らば其にて可なり。一つの命を受けてつとめ終らば、神仏より賞せられん。その賞せらるる言葉は、即ち有し難しと云ふ言葉となりて現はるるなり。然して再三再四つとめを粗略にせず、賞せらるる度加は…

未知日記霊話集未知日記霊話集 第千二百八十七回 絶対界 第十章 霊気と霊気の交はりに就いて つとめを粗略にせず、賞せらるる度加はるに従ひて辱なし、勿体なしの賞が深くせらるると知らば、「何事のおはしますかは知らねども、勿体なさに涙こぼるる」底に迄賞せられて、ここに初めて神仏と諸子が接近して、その姿をも拝することを得るに到るなり。むづかしき事にはあらざるべし テツシン講義

ヒロさんの転記したものをここに掲載しています 絶対界 第十章 霊気と霊気の交はりに就いて            テツシン貴尊講義  諸子は神仏の下僕にして、神仏の命に従ひて凡てに務めをなし居ると云ふ考へにて、行じ居らば其にて可なり。一つの命を受けてつとめ終らば、神仏より賞せられん。その賞せらるる言葉は、即ち有し難しと云ふ言葉となりて現はるるなり。然して再三再四つとめを粗略にせず、賞せらるる度加は…

未知日記霊話集未知日記霊話集 第千二百八十六回 絶対界 第十章 霊気と霊気の交はりに就いて 憐みの心をおこして乞食に衣を与へしは、有言詞の方向にむけ居るに等し。然し施し終りて感謝を捧ぐるは、是霊地に波長をむけたる結果となるなり。諸子は日々他人のために尽し居るならば、尽したる後感謝の思ひを、神仏に捧げ居らば、めぐみし者より一言の挨拶なしとて、怒り罵る如き愚はなさざるべし テツシン貴尊講義

ヒロさんの転記したものをここに掲載しています 絶対界 第十章 霊気と霊気の交はりに就いて            テツシン貴尊講義  諸子はなまじ知慧の備はりありて、其が却て信仰のさまたげをなし居ることに意を用いよ。今も語りし隣家の未亡人の言葉の如く、念力にて人を陥るる底の人は常識の備はり薄き人にて、唯怨み妬みの念のみ学ばずして働き居るが故に、かかることをもなし得らるるなり。是等も或一種の霊地を見…

未知日記霊話集未知日記霊話集 第千二百八十五回 絶対界 第十章 霊気と霊気の交はりに就いて 「何事のおはしますかは知らねども、勿体なさに涙こぼるる」と云ふを語りおけり。日本人の用い居る勿体なしと云ふ言葉を、他国人に通ぜしむることを得るや。 然らざるべし。信仰を深くする霊地とは是なり。霊地は勿体なしの程度迄進まずば、霊地を発見すること難し テツシン貴尊講義

ヒロさんの転記したものをここに掲載しています 絶対界 第十章 霊気と霊気の交はりに就いて            テツシン貴尊講義  諸子の信仰とは確定したるもののみを、信ずる力を養はんとするが故に、却て雑草ははびこるなり。此理を悟らんとなれば、先づ信仰に相当する霊地を発見するにあらざれば、正しき信仰は得られざるなり。果してその霊地は那辺にあるかに思ひを廻らさざるべからず。諸子は美しき花園を見て、…

未知日記霊話集未知日記霊話集 第千二百八十四回 絶対界 第十章 霊気と霊気の交はりに就いて 悪き種子は育ち易し。良き種子は育ちがたきことは、諸子も体験したることならん。取れども取れども尽きざるは雑草なるべし。此雑草をも刈りとりて程よく按排し、肥料として地をこやすならば却てよき種子の養ひとなるは、是又諸子も体験したるならん。信仰の法はかくの如し テツシン貴尊講義

ヒロさんの転記したものをここに掲載しています 絶対界 第十章 霊気と霊気の交はりに就いて            テツシン貴尊講義  今慈音は隣家の未亡人と語り居るを聞くに、その未亡人の曰く、「人を呪ひて死に至らしむる如きことのなし得るや」と。慈音是に答へて 「其は念力と称して念の力強ければ、なし得らるるなり。されど斯ることは一般人のなし得らるるものにあらず。故にかかる人は或一種の精神障碍者なり」…

未知日記霊話集未知日記霊話集 第千二百八十三回 絶対界 第十章 霊気と霊気の交はりに就いて 礼義の礼は、即ち霊気の霊に通ずと見ても差支なからん。 相互に礼を交はすは、即ち霊を通ぜしむるに他ならず。故に礼を霊に通ずと云ふもこじつけにはあらざるべし。 拝みすると云ふは即ち霊を霊に、同化せんとの一つの法なり。 礼義を重んぜよと云ふは霊気を重んぜよと云ふ事に変へては如何 テツシン貴尊講義

ヒロさんの転記したものをここに掲載しています 絶対界 第十章 霊気と霊気の交はりに就いて            テツシン貴尊講義  天地相和してすべてをつくる。天と地と合するを諸子は会ふと云ふならん。会ふとは愛の意味なるべし。 我等、諸子の世界の言葉を知らねば、その意味の如何あらんかは知らねど、天地和合することを会ふと云ふならば、会ふは愛に通ずと云ふもこじつけにてはあらざるならん。よしその言葉が…