未知日記霊話集未知日記霊話集 第千二百九十八回 絶対界 巻の三 絶対界 第二講 不変性絶対と変化性絶対との関係 自然と云ふ言葉に於ても全宇宙の自然とは、その意味大に異なる点少なからず。よって太陽系宇宙を仮に小自然と名づけ、全宇宙を大自然と名づけて説明せんとなし居るなり。其心して聴れんことを望む もし神にして形ありと想像するならば、神の姿を作りたるものは、更に何ものかと云ふ点に迄、追究せざれば真の自然を知ること難し。是等の事柄に関しては教主の説き給ふ説をききて導きを受けよ テツシン貴尊講義

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絶対界 第二講 大自然と小自然の関係 
第二講 大自然と小自然の関係
           テツシン貴尊講義


 前講の法則より自然と云ふものの理を探り求めざるべからず。第二講目に掲げたる大自然と、小自然と名づけしは他ならず。 全宇宙を大自然として研究する時、太陽系宇宙は小自然とみなして考究するの要あるなり。別段大小の区別の必要なけれど、兎に角不変性絶対変化性絶対の区別あるによって、自然の道理にも亦従つて異なるところありて、斯くは大小の区別もて知らせんと計りたるにすぎざるなり。 諸子の住居なし居る地球は太陽系宇宙なるにより、相対関係に置れありて空間時間を有するが故に、自然と云ふ言葉に於ても全宇宙の自然とは、その意味大に異なる点少なからず。よって太陽系宇宙を仮に小自然と名づけ、全宇宙を大自然と名づけて説明せんとなし居るなり。其心して聴れんことを望む。
 我、大自然小自然と云ふ言葉を用いて大小の区別をつけたれど、帰する処は根より枝葉にわたる自然を現はすのみにて、別段大小の区を定むるの要はあらざるなり。されどかくせざれば諸子には通じ難きを慮っての意味なれば、誤解せざるやう注意なしをく。即ち大自然とは根にして、小自然とは枝葉なるが故に、換言すれば大自然を絶対と見なさば、小自然は相対の関係となる。されば絶対のながれが、相対に及ぼすことは云ふ迄もなし。 諸子は相対自然にのみ囚はれて、絶対に帰ることを忘れ居るによつて、ややもすれば自然を曲ぐること多し。是等に関して新らしき言葉の数々を造りて説明すれば、却て複雑となりて絶対自然をさとること難し。故に我等はこの事を知るによって単に大小の区別を以て、説明せんとはかりたる迄なり。 よつて諒せよ。一個の微分子が他の微分子と交はりて、更に異なりたる微分子を造り、又其が他のものへ化合して、又新らしきものをつくる。 此理は諸子もよく知るところならん。されどその最初の一個の微分子が、 何によつて造られしかに対しては知ること難からん。神は始めに何憶否何兆の多き微分子を作られたりと仮定して考へ見よ。その何億何兆の悉くの性質が異なり居る性質を具へあるによって、其等が互に交はりて育ち行く理は、諸子には解することを得るならんも、始めに作りたる何億何兆の微分子の根元は、はかり知ること難からん。是即ち絶対自然なるが故なり。是を知るものは神を措いて他にはなかるべし。即ち神は造主なるによつてなり。さればこの何億何兆の微分子が絶対と云ふならば、その絶対なる種子に相当する微分子は、何によつて作られしかの源もあるならん。故に全宇宙の成立は始めなく又終りもなき底の姿ならずば、神としても是を作ることのあたはざるならんとは考へざるや。もし神にして形ありと想像するならば、神の姿を作りたるものは、更に何ものかと云ふ点に迄、追究せざれば真の自然を知ること難し。是等の事柄に関しては教主の説き給ふ説をききて導きを受けよ。
 兎に角自然の力、自然のはたらきを認識するには、先づ大自然に帰らずば測り知ること難きは、かくの如き理論あるによつてなり。諸子は中途自然の法則に従ひ居らば其にて可なり。されどその中途自然を曲解して歩むが故に横道にふみ迷ふ。今も欣情が語り居る如く、神を作りたる神、その神をつくりたる神と追究すればはてしなからんと語り居るをきく。諸子の知慧はかくの如し。故に我等は諸子を導くの任務を架せられたるなり。

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